真昼の星をみつけたよ25コメント

1 びゃく id:Zh6z7zX1

2016-01-04(月) 23:05:40 [削除依頼]



あと何光年で、きみと手を繋げますか
  • 6 びゃく id:zDmu.8U.

    2016-01-30(土) 21:51:30 [削除依頼]

    「好きだったよ」
     忘れていたわけではなかった。ただ時計が刻む規則正しい音を聴いていた。もうどうしたらいいのかわからなくなって、何度も息を止めて自分の生存を確かめた。加速する心臓の音は僕を安心させた。もうきみを忘れてしまうから。彼女がふっと呟いて、そうなんですか、と僕が聞き流したあの日に僕は、彼女を嫌いになったはずだった。ぼたぼたぼたと血の上に落ちた涙を、僕はこんなふうに泣くんだなと思いながら見詰めていた。あのときやっと、僕はちゃんと泣くことができたのかもしれない。
     そうしなければならなかったのだ。僕は彼女を殺さなければならなかった。彼女のことを好きになるまえに、彼女が僕のことを好きになるまえに。ちゃんと、やるべきことをしたのだ。僕は僕を正当化したかった。あのとき既に僕が恋をしていたなんて認めたくなかった。
    「好きだったよ」
     彼女が死んだ日、僕は彼女の書斎に時計をとりつけた。時間がずっと凍結していて、それが戻って来たような気がして、動き出したような気がして、彼女と僕が過ごした時間を、いっそなかったものにできたらいいのにと思った。
    「好きだったよ」
     彼女なんて嫌いだ。ずっと前から、嫌いだ。
    「すきだったよ」
     ずっと前から。

     もう戻らないし還っても来ない彼女を、覚えておきたくなってしまって死にたくなった。未完成の感情をどうにもできなくて、僕は僕をやめたくなる。
     彼女の髪の色と皮膚のやわらかさと折れそうな指と掠れた声を、蜂蜜色の夕陽と耳が詰まるくらいの静寂を、僕はいまそっと棄てる。
     もう彼女は僕をしらない。僕も、彼女を知らない。


    「 」


    /ロスト
  • 7 びゃく id:Vhr9q7f/

    2016-01-31(日) 23:26:40 [削除依頼]

    「もうだめなんだよ」

     深莉(みり)は嗚咽の隙間でたしかにそう言った。海のかけらみたいな澄んだ涙がぽろぽろ途切れずにその頬を滑る。滑っていく。落ちて割れる。僕はただずっとその様子を眺めていた。綺麗だなあとただそれだけ、思った。

    「ずっとここにいたよって、言ってよ」

     笑ってよ。
     僕は、もしかしたら深莉には僕が見えないのかなと思った。だから泣いているのかなと思った。けれどそんなことなくて、深莉の瞳孔には薄くだけれどくっきりと僕の輪郭があった。深莉はちゃんと僕を見て泣いてくれていた。僕には広すぎるほどのこの世界は、深莉にとってただの窮屈な水槽に過ぎなかった。ゆらゆら揺れて透ける僕の体は位置が定まらなくてとてももどかしくて、悲しくなって僕は笑った。深莉はしゃくり上げながら僕に手を伸ばす。細かく震える指先でそっと僕に触れる。するりと心地よい感触が僕の脳髄を通り抜けて貫く。深莉はちゃんと僕の存在を、ぬくもりを感じているだろうか。僕と同じ気持ちで僕に触れてくれているだろうか。
     だとしたら僕はしあわせだと思った。僕がこの世界のほんの一片に過ぎないとわかっていても、ここにいることが途轍もなく壮大で素晴らしいことのように思えた。深莉も僕につられてすこし表情を緩めた。脆い薄いプラスチックのような銀色に透けた世界で僕らはずっとこのまま一緒にいたいと願った。深莉となら、今ならどこにでもゆけそうな気がした。気泡がゆったりと僕らの間を通り抜けていく。煌めいて無数の色になってはじけ飛んだそれにまぶしく目を細めて、深莉はやっと笑った。瞳や頬はまだ哀し気に濡れていたけれどそれでも、むしろそれが彼女を引き立てているかのように深莉は綺麗だった。
     深莉の長い髪が無秩序にゆらめく。歪んだ空からの光に絡めとられてそれは怪しげに艶を増す。目を閉じたって感覚的に奔流となって流れ込んでくる憧憬。深莉も僕も心から笑える瞬間がそこに確かに存在した。
     どれが僕らの未来だとしても、きっと前に進んでゆけるだろうなんて陳腐なしあわせを描いていた。でもそれでいいと思えた。充分だと思った。笑えるように、歩いていけるように。
     水の中で唇を動かすのだ。

    「ぼくはずっとここにいたよ」


     この世界で僕と深莉はいま、泡とひかりといっしょに銀色のさかなになる。


    /aquarium
  • 8 びゃく id:CwZX4mA1

    2016-02-19(金) 23:47:16 [削除依頼]

    「だめだよ」「今日も満月だったんだ」
     わたしの言葉に、葵はかぶりを振った。ゆるゆるとした光が透明なカーテンを纏ってわたしたちを淡く照らした。グラスに少しだけ残ったサイダーが月光を吸い込んでゆらりと泡を吐き出す。わたしはだんだん、生きている心地がしなくなる。いつかわたしは死んでしまっているのかもしれない。まっぷたつの理性でわたしは、わたしと葵を薄く認識していた。サイダーの二酸化炭素とわたしたちの鼓動だけが、わたしたちがここにいることを証明するようにゆらゆら動いていた。

    「影が」
    「影?」

     僕らの影が、もう見えないんだ。

     影を落としてきてしまったのだ、とわたしは思った。吸血鬼にでもなったみたいだった。血。わたしは血液が嫌いだった。それはどうしてもわたしに、葵を思い起こさせた。哀しそうにはにかんで、僕らはなににもなれはしないんだよって言った葵を、どうしても思い出してしまうのだ。気持ち悪かった。鏡の向こうで私を見詰めるのはどこから見てもわたしの形をしていた。影を落としてきてしまった。

    「ねえ、わたしたち、もういないのかもしれないね」

     ねえ、葵、あなたは考えたことがあるかしら。もうずっと探していたね。月の裏側みたいな、狂った時計の針みたいな美しさを探していたね。真っ暗なこの部屋で、ずうっとわたしたちは、傷を舐めあいながら待ってた。許されないことだって、葵がいればいつか綺麗なものになるんだって思ってた。葵。あなたは嘘が嫌いだったね。嘘つきなわたしと、嘘つきな世界をあなたははじめから嫌いだったのかな。ねえ、葵、葵はわたしが嫌いだった? ねえ、だめだよ、嘘を吐かないで。葵にあいされて、わたしは穢れるってことを知った。葵の甘い甘い嘘が、はにかんだ笑顔が、だいすきだったよ。

     新月の日、世界はいちばん嘘つきになるの。葵は嘘つきだよ。わたしたちはもういない。この世界に、もういない。ごめんね、ごめんね、わたし、幸せになりたかったよ。

    /liquid love
  • 9 びゃく id:KZPgOxy0

    2016-03-09(水) 23:35:24 [削除依頼]

     まだ全然寒いのに、春の匂いがした。桜はまだまだ咲かないし、先週雪も降ったけど、どうしてか春だなあと思った。卒業証書の筒を右手で弄ぶ。

    「行かねえの」

     気配もなく後ろから声がして、わたしはびっくりして振り返った。規則正しく並んだ机の波の真ん中に、斎藤くんがわたしと同じ筒を持って、いつのまにか居た。

    「どこに」
    「打ち上げ」
     行かないよ。

     ひとりになりたかった。別にみんなが嫌いだって訳ではないけれど、飲食店でぎゃあぎゃあ騒ぐような気分では、とてもなかった。
     斎藤くんはふうん、と静かに呟いてわたしの近くの机に腰を降ろした。春の匂いがする。廊下のワックスの匂いとか、風とか全部、春の色をしていた。斎藤くんも黙って、窓の外を見ていた。どちらともなく卒業だねって呟いて、どちらかがそうだねって返事をした。写真を撮り合ってわあわあ泣いて別れを惜しむより、このほうがよほどせつなかった。
     時間が止まったらいいのにと思った。15歳と16歳の中途半端な隙間でずっと彷徨っていたかった。なにかが頭から抜け落ちていって、からだがどんどん透明になっていくみたいだった。あのさ、と斎藤くんが言った。ちょっと、震えていた。

    「あのさ、紺野」

     斎藤くんの方をゆっくり向いた。斎藤くんはまっすぐに、わたしの目を見ていた。澄んでいて、零れそうだった。

    「おれたち、もう消えちゃうんだな」

     消えちゃう、というのはなかなかぴったりな言葉に思えた。消えちゃうんだ、わたしたち。消えかかっているんだ、もう。この教室を出て、廊下を歩いて、自転車に乗って、家に帰ったらもう、斎藤くんに会うことはないんだ。けど、もし今わたしが「そうだね」なんて言ったら、斎藤くんはきっと泣いてしまうんだろうなと思った。春の匂い。嫌いだけれど好きだった。ぞっとするほどゆるやかで、鳥肌が立ちそうなほどに優しい匂い。

    「そうだね。もういなくなっちゃうね」

     斎藤くんの顔を見たくなくて、また窓のほうを向いた。もうちょっとここにいたい。まだもうちょっと、生徒でいたい。とっても静かにだけれど、斎藤くんは泣いた。
     静かに、静かに、わたしはつぶやいた。頭のなかで何度も用意しては消した。斎藤くんの泣き声がする。泣いてる。今日が特別な日なんだとやっと悟った気がした。もう消えかかっていた。

    「斎藤くん、あのね」
    「うん」
    「すきだよ」

     もうどれだけ追いかけたって、届かないよ。わたし、きみのことが好きだった。斎藤くん、ねえ、わたしもう消えちゃうの。居場所を探してずっとこれから、斎藤くんの見えない世界で生きていくんだよ。胸いっぱいのさようならを、いま伝えたいんだ。一生分の別れのことば、きみにあげる。

     ごめんね、さよなら。
     わたしは泣きながら教室を出る。消えかかったわたしと斎藤くんは、きっとまた会える。


    /春、またきみに会えますように
  • 10 びゃく id:y1ytxnV/

    2016-03-13(日) 23:50:32 [削除依頼]

     ふと気づくとふーちゃんが僕の手を握っていた。柔らかく優しく、まるで脆いガラスを扱うようにそうっと。僕の隣に腰掛けて、もうぜんぶ焼き尽くされてしまった僕らの静かな街を見ながら、擦り切れた指で包み込むように、少しの哀しさを孕んで、でも確かなぬくもりをもって。
     ふーちゃんは手を繋いだまま、煤や誰かの血糊や土なんかがたくさんこびり付いた鎧をがしゃりと揺らしながらよいしょ、と僕の近くに座りなおした。ぼろぼろと錆のような茶色い塊が彼女の座っていた場所と、ずっと下の地面に落ちる。かつては街で一番大きな時計塔だった廃墟の屋上。材質のわからない硬い灰色の壁の縁。ひゅーひゅーと鳴るつめたい風と僕らの息遣いの音。すこしバランスを崩せば前にのめって落ちるような位置に僕らは居た。さよならを使い果たしたような無機質な冷たさだけ、この街に残っていた。

    「ふーちゃん」
    「なあに?」
    「なんでもない」
    「そっか」

     大きく裂けた口のような真っ赤な月を抱えた、深い藍色に染め上げられた空は皮肉なほどに星でいっぱいで、僕とふーちゃんがまだ生きていることの証明にも見えて、不覚にもすこし安堵を覚えた。銀粉をちらした半球の下にまだ僕らは存在していた。平坦になった街はずいぶんと色褪せて、でも空だけは変わらずに僕らの頭上にあった。緩い風に絡めとられたふーちゃんの不思議な色の髪が、赤色灯みたいな月明かりに照らされてしゃらしゃら揺れる。きたなく煤けているのにちゃんと透けるように煌めいて見えるそれは僕をとろけるような、ふわりとした心地よい感覚にさせた。

    「ふーちゃん」
    「どうしたの?」
    「僕はふーちゃんが居てくれて本当に良かったって思ってる」
    「ん、ありがと」

     じゃあわたしもきっとそうだ、と前を向いたまま独り言のように呟くのが聴こえた。
     ずっと夢を見ていたような気がする。ふーちゃんが斬ると僕は撃って、彼女が射られると僕も刺された。飛び散る血と呪文と想いのさなかで目に映るものはほとんどが敵で、必死で味方を探しながら戦った。治癒魔法の効かない地帯で、僕の腕の中で死んでいった母さん。もうかたちがわからなかった父さん。一秒でも気を抜けば上から屋根瓦と爆弾と槍が降ってきた。__ふーちゃんはとても強かった。そのぶん負う傷も僕より遥かに多くて彼女は何度もその痛みに体を軋ませ泣いた。何もしてあげられない僕に僕も泣いた。ごめんねを言う度に僕は彼女のかわりに死にたくなった。死ねないふーちゃんのかわりに、いなくなってしまいたかった。
     僕はふーちゃんを守れない。ずっと前から気付いていたことだ。
     僅かに力を込めて手を握り返す。彼女の手が吃驚したように、焦ったようにぴくっと動くのがわかった。そっと覗き見たふーちゃんの表情にこそ変化はなかったけれど、ほんの少し温度が上がった手の中のそれを僕はとても愛しく思った。

    「僕らさ」
    「うん」
    「まだやっていけるかな」
    「いけるよ、きっと。それともいままで死んだことがあるの」

     ないでしょう、それは今までやってこれたからなんだよ。
     それはとても陳腐な台詞で、けれど不思議な重みを帯びた。僕は意味もなく安堵に包まれて、またあの浮遊感の伴う不思議な気持ちよさにとらわれた。
     そうか、僕はきっとこの少女が好きなのだ。
     この世界で僕は、ひとを好きになれたのだ。

    「ふーちゃん」
     ねえ、少しずつ歩いていこう。
    「僕さ」
     ふたりきりの世界で初めから紡ごう。
    「僕さ、ふーちゃんが居ればなんでもできるよ」
     一緒に。


     零れそうな満面の笑み。
     右手をつよく握りなおして、僕と少女は夜空に跳んだ。


    /三千世界の隅っこで
  • 11 びゃく id:WQbY.L5/

    2016-03-14(月) 00:46:58 [削除依頼]

    ■ .

    >3-4 ×××
    初期作のリメイク こういう設定好きです。恥ずかしすぎて大幅変更しました

    >5 或る朝
    キャラクターすごくお気に入りです。白い髪ってすごく好きです

    >6 ロスト
    前に書斎で女の子が殺される話書いたんですけど、それの続きがどうしても書きたくて(何の話

    >7 aquarium
    深莉という響きがとても好きで、いつか使いたいって思ってました
    企画に出させていただいたものをちょっとだけ変更しました

    >8 liquid love
    題名から思いついて、衝動書きみたいな感じになりました
    この二人も好きです また書きたい

    >9 春、またきみに会えますように
    卒業シーズンですね、私も今年で卒業なんですが17日なのでまだなんです
    冬から春に移るときの気候がすごく好き 匂いとか、温度とか

    >10 三千世界の隅っこで
    これもリメイクです、ファンタジーってお題だったのですごく頑張った記憶があります
    夜の星の描写がとても楽しかったです
  • 12 びゃく id:985nIdw1

    2016-05-01(日) 10:48:34 [削除依頼]


    「ねえ、長瀬くん、私の絵を描いて」

    ソラは絵が嫌いなのだと思っていた。俺の絵を見て綺麗だねって言ったときの、哀しそうな、全部諦めたような目が忘れられなかった。ソラは1枚も、絵を描かない。中学校の頃はたくさん賞を獲っていたんだけどねって誰かが言っていた。禁忌に触れるような気がして、絵が見てみたいとは言えなかった。1年間、結局ソラは俺の絵を見て過ごしていた。どうして美術選択生になったのか、どうして美術部に入ったのかも聞けないままでいた。ただずっと、俺の向かいで絵を描くのを見ていた。なにかを探すように。誰かの面影を、俺の中から探すように。
    青色が好きだった。滲んだ透明水彩の縁が、それに重なるたくさんの青がいつしか俺を虜にした。油絵を描くようになってからも、ふと思い出すように青い絵を描いた。なにも伝えることなどない、ただ好きな色を、好きなかたちで誰かに見て欲しかった。雨のような雪が降った日もそんな絵を描いていた。ソラが向かいの机から頬杖をついて俺を見ていた。

    美術室にやわらかな風が吹き込む。絵の具の匂いが風と混ざる。水入れのなかの青が揺れる。ソラが目を細めて、猫みたいに机に上半身を寝そべらせる。どこかぎこちなくて、頬にかかる髪が綺麗だった。

    「おまえの絵?」

    うん。描いてくれるかな。


    また、あの目だった。綺麗だね。その絵。ソラの泣きそうな零れそうな目が、俺を映していた。声だけやけに明るくて、無理しているんだなと思った。消えてしまいそうだった。セーラー服の袖を握りしめる手が震えているように見えた。絵の具の匂いがする。長いソラの髪が揺れる。
    過去に何があったのか、ソラは話さないし俺も聞かない。けれど、じわじわと、何がそうさせたのかは分からないけれど、ソラの中で何か動き出しているような気がした。俯いていたソラがふっと顔を上げて窓の向こうを見る。うっすらと残る泣き跡、指の包帯、全部気づかない振りをした。なんでもいい。今は、ソラの絵を描くだけでよかった。誰も知らないままで、ソラの中だけで燻って、そのまま残っていけばいい。しあわせな日も消えたい日もそうやって、抱えていけばいい。

    「ソラの誕生日ってもう過ぎたのか」
    「馬鹿だなあ、とっくに過ぎてるよ」

    俺はソラの方を向いて鉛筆を走らせる。もうすぐ15歳になる。春の風が吹いている。


    /暖色
  • 13 びゃく id:985nIdw1

    2016-05-01(日) 20:16:52 [削除依頼]
    >>12 訂正


    「15歳になる。」→「16歳になる。」
  • 14 びゃく id:kZdli3y/

    2016-05-06(金) 23:13:59 [削除依頼]


    「なあ、あの歌ハモろうぜ」
    「はもる?」
     あーあれだよ、下のパートと上のパートの奴。

     長瀬くんはウルトラマリンに染まった右の人差し指をこちらに向けて、ひゅひゅひゅひゅっと四拍子を描いてみせた。彼越しに見える窓からの景色は灰色で、銀世界とか表現したら綺麗に聞こえるのだろうけれど、硝子の外側をぺったり伝う融点を迎えかけの氷塊はどう頑張っても氷塊でしかなかった。土とか混じっているし、どうせ降られるのならいっそ北国で暮らしたほうがましかも知れない。
     私にぎりぎり見える角度でイーゼルに乗っかる、小さな長瀬くんの世界。青くて青くて、寒そうだけれどどこか優しくて、不思議。

    「いいけど、私アルトだから旋律にならないんじゃない?」
    「そんなの歌ってみないとわかんねえだろ」

     私は机に頬杖をついて、長瀬くんの指先を見詰める。平筆を伝って描かれていく青。
     好きなんだな__とふと思った。彼は描くことを、まばたきのように酸素のように、あたりまえに求めてしまうんだろうな。本能的に、衝動的に、無意識に。手つきが、キャンバスを愛でるように眺めるまなざしが、その静寂が、どれだけ描くことが好きかを空気で伝えてくる。
     ゆっくり、撫でるように、長瀬くんの筆は滑っていく。布のざらつきを感じるように、光加減を愉しむように、ゆっくり。

    「……綺麗。だね」
    「あ?」
    「きみの絵」

     こちらを見ずに顔を顰める彼の耳は僅かに赤くて、それが寒さの所為なのかそれ以外によるものなのかはわからなかったけれど、私はキャンバスを指さした。セルリアンブルーと紺とウルトラマリンでできた世界。長瀬くんが愛してやまないであろう世界。
     長瀬くんは何も言わなかった。代わりに、彼が取り落とした絵筆が美術室のフローリングで硬い音を立てた。彼が照れているのが判った私はなんとなく、机にもぐって筆を拾う長瀬くんから目を逸らして無理矢理窓の外を眺めた。雪は勢いを増し、窓に細かい氷が張りついては液体になって流されていく。ぼうっと、うつろにその様子を見ていた。長瀬くんは筆を拾って、また絵を描きはじめる。
  • 15 びゃく id:kZdli3y/

    2016-05-06(金) 23:14:28 [削除依頼]
    >14


     絵の具の匂い。長瀬くんの匂い。私がまだ絵を描いていたころ、私の描く絵がまだ意味をなしていたころ、大好きだった匂い。
     私にはもうわからない。
     絵筆を持って顔料と色素の塊を引き伸ばしていくだけのその行為が、それが生きる糧になるということが、それに楽しみを見いだせることが。
     絵を描いたって伝わらないことはたくさんあるのに、絵で伝えることしかできずにいた私を、ゆっくり壊れていく私を静かに見ていたあのひとの瞳がどうして、いまキャンバスを見詰める長瀬くんのそれと重なってしまうのかわからない。__好きなだけじゃ不十分だ。ただ綺麗なだけの絵なんて、いらない。いらないのに、価値なんてないはずなのに、どうしてこんなにも長瀬くんの絵に見入っていたいと思えるのか、思えてしまうのかわからない。どうしてもわからなかった。たぶん、絵は私が思っているよりもずっと簡単にできているのだと思う。描くひとが伝えたいことを持っていなくたって、誰かの心に響く絵なんてきっとどれだけでも生み出せる。だから、価値がないとかあるとかに固執してしまう私にちょっぴり嫌気がさした。そうすることでしか、私は私を伝えられない。あのひとの言ったことを真に受けて、今もそれを引きずってきてしまっている。馬鹿だなあ。みんな馬鹿だよ。いなくなっちゃえって何度も何度も切り裂いた。青い綺麗な絵。まだ少し重ね足りない薄い絵の具。ありがとうと小さく長瀬くんが呟く。ぎりぎり聞こえるような声だったから、きっと独り言だと聞き流す。
    できればこのままずっと、ここでこうしていたいと思った。描くことを棄てた私を責め立てるようなこの匂いと、長瀬くんと私がつくる空気にずっと絞められていたいと思った。別に懺悔がしたいとか過去に浸りたいとかそういうのではなくて、単純にここにいたいと思った。もしかしたらただ長瀬くんの絵を見ていたいからかも知れないし、私の拙い自己分析でしかないけど。エアコンの設置されていない美術室の気温は冷え切って、私の指先の温度を下げていく。冷たさが心地よかった。

    「らら、ら」

     低くてすこし掠れたバスの音色が、沈黙を優しく破る。音程をかたちづくっていく。柔らかい四拍子。長瀬くんの声。長瀬くんの呼吸。
     もう絵は描かない。描かないけど、長瀬くんが好きなものなら、私もいつか好きになれそうな気がした。彼の絵と、声と、彼のまなざしが私をそんな気持ちにさせた。

    「らら、ららら」

    雪、まだやまないね。
    もうしばらくはこんな感じだと思うぞ。合羽持ってるか?
    馬鹿だなあ、持ってるわけがないでしょ。
    持ってねえのかよって長瀬くんが笑う。私もちょっと、笑う。
    旋律を欠いたメロディ。和音。私と長瀬くんの歌が、青く染まった水入れと、イーゼルと、絵の具の匂いと、窓から見える街をなぞって美術室いっぱいに吹き抜けていく。
    私はゆっくり目を閉じて、瞼の裏に残るぼんやりした残像を眺める。時計の秒針の音。私の心臓の音。音。
    雪は降りつづける。15回目の冬がやってくる。

    /cold color
  • 16 びゃく id:WVrQncz/

    2016-06-15(水) 23:03:26 [削除依頼]

    くるしい。言葉が喉の奥でどんどん劣化して、ぼくは頭を抱えたくなる。

    「どうして消えてしまったんだろう」

    置時計の秒針がカチンと音を立てて止まる。このまま時間も止まればいいのに。湿気を多く孕んだぼくの部屋で、壊れかけのエアコンが唸りを上げるのを聴いていた。
    伽はどこへ行ってしまったのだろう。にわか雨の振った暑い日、廃墟裏のレストランの室外機の前で、じゃあね、さよなら、っていつも通りに手を振ってから、彼女は一瞬泣きそうな顔をしてバスに乗り込んだ。真っ赤な夕日が伽の髪と、頬と、瞳と、力なく振られる手を照らしていた。ぼくは伽に好きだよと言おうとしたけれど間に合わなかった。心に口が追いついていかなくて、ことばだけ宙ぶらりんになって独り歩きをした。
    それから、それから、伽は消えてしまった。どこへ行ったのか誰もわからない。それどころか伽という存在がぼく以外の誰からも消え去ってしまったのだ。最後に見た伽の泣きそうな顔が、なにか言いたそうな顔が頭の中にこびりつく。

    置時計を軽く叩く。何度も何度も叩く。動かない秒針を呪った。もうここで生きていたくないと思った。涙が滑っていく。空が湿った青を垂れ流してぼくを嘲笑う。確かめるように右手首を左手首で、握った。


    /狐の嫁入り
  • 17 ろの id:8HLC1R9.

    2016-07-27(水) 20:48:39 [削除依頼]

    伽はアイスクリームが載ったスプーンを窓越しの月に翳すようにして、上目遣いでそれを眺めていた。

    「伽。なにやってる」
    「月が出てるから。」

    夏なのに寒い夜だった。浴衣が好きな伽は今日も浴衣を着ていた。紺の地に銀の刺繍が映えて、絵画を見ているようだった。
    ゆっくり、罪を犯.すみたいに、伽はスプーンを口に運ぶ。こくんと上下する幼い喉、そうっと閉じては開く濡れたような睫毛、酔ったような舌っ足らずな口調、今夜の伽のすべてがどこか艶っぽかった。夢の続きを見ているようだった。合わせ鏡の中に迷い込んだ気分だった。吐き気がした。誰かの弾くピアノの低い音が、ずっと微かに聴こえていた。

    「雪も、降ればいいのにね」

    僕はそれには答えずに、出してあった瓶からサイダーのような液体をグラスについだ。不思議そうな顔でそれを見詰める伽の眠そうな瞳が二酸化炭素と月明かりに煌めいた。
    僕は微笑って、伽の目を見て言った。

    「それ、載せてみろよ。雪が降るから」
    「……降るの」
    「とても」


    さっきよりも慎重に、禁忌に触れでもするかのように、伽はスプーンをグラスの縁に近づけた。アイスクリームが落ちて、ちゃぽん、と炭酸水が跳ねる。夜の部屋の、剥き出しのコンクリートに響いた。泡が、白い塊を溶かしていく。形をなくしていく。キンと音を立てて、スプーンが床に落ちて跳ねた。徐に、まったく無意識に、流れるようなすべらかな動作で彼女はグラスを呷った。雪を飲み込んで、酔ったような顔で、そのまま倒れ込んだ伽はぼくの腕に寄り掛かって、ゆっくり瞳を閉じた。薄い浴衣越しに触れたところが熱かった。空になったグラスが伽の手からスローモーションで滑り落ちて、スプーンの横に落ちて割れた。僕は残りのシャンパンをひとくち飲み込んでから、酔いがまわるまえに、伽が死.んでしまうまえに、今夜いちばん優しい声で囁いた。絶対、これがさよならだと思った。

    「おやすみ。ごめんね」

    しゅわしゅわ夏の音を上げながら、アイスクリームと伽と僕が月にとけていく。


    /醒睡笑、錯乱した白昼夢


    書き捨てに近いです いつかリメイクする
  • 18 ろの id:8HLC1R9.

    2016-07-27(水) 20:50:42 [削除依頼]
    >>17
    4つもスペース入れたのに段落になってくれないってどうなの
  • 19 ろの id:Fh5624Q/

    2016-08-20(土) 01:28:45 [削除依頼]

    それだけがさよならの合図だって分かっていた。夜が、すぐそこまで迫っていた。


    手を伸ばしたらちゃんと触れられるひとがよかった。私はもう、鳴海くんと一緒にいられないんだって思った。それは呼吸みたいに、血液みたいに、すぐそこにある死だった。ふたりの間の薄い空気が、ゆっくり音を立てて死んでいった。どうしようもなく、綺麗、だった。

    溺れるように、鳴海くん、と呼んだ。そうしたら、彼の深い水の中みたいなまなざしや、丁寧な息遣いや、遠慮がちな声が応えてくれると思っていた。返事をしてくれるって、愚鈍にも信じていた。信じていたんだ。


    私の影は半分どこかへ彷徨った。夜がくる。牙をむいて、わたしと鳴海くんの死んだ世界をついばみにくる。喘ぐように足を踏み出した。夜が、くるよ。新月の真っ暗な夜。


    「狂ったみたいに好きだった。もうわたし、鳴海くんのことを忘れなくちゃいけないみたい。言葉が、時間が、なにもかもが足りないや。さよならの合図、鳴らしてね。

    鳴海くん、あなたに恋をしていたよ」


    鳴海くんが遠くへいく前に、あかりがひとつ灯りますように。わたしが夜の街に溶けてしまうまえに、鳴海くんがいちどでも涙を流してくれますように。


    /ひとりきりのノスタルジア
  • 20 ろの id:wVjR8rI/

    2016-09-02(金) 00:29:51 [削除依頼]

    「ちひろ」
     また翠くんの声がとけた。わたしの脳髄にふかく柔く融けて、噛み砕かれて、痛みになる。わたしは呻いて、そうしてまた翠くんは頬をぴくりともさせずにわたしの足に、頬に、首に、そのことばを溶かしていく。
     だめだよ。まだだめだよ、翠くん、わたしの中にまだ、翠くんのことばは入っちゃいけないんだ。きみのことばを、キスマークみたいに卑.猥なものにしたくないの。だからまって、わたしの名前を優しく呼んだり触れたりしないで。だめ、だめだよ。
     抵抗できなくて、わたしのブラウスが滑り落ちる。翠くんの指がわたしの腕から肩へ撫でるように、すべらかに動いていく。ちひろ。ちひろ。これがわたしの名前でないような気がした。翠くんは笑わない。知らない間に泣いていた。翠くんの体温に焦がされる。あつい、あついよ、だめ。もう翠くんのことが見えなくなって、盲目のままわたしは翠くんに貪られる。愛されることって、穢されることと一緒なんだよ。わたしいま、ちゃんと翠くんに穢されている? 痛い。理性が音を立ててなくなっていくのが解った。こわい、翠くんがすごく怖いのに、わたしは翠くんに縋ろうとするのがもっと怖くて、わたしは目の前の腕を掴む。あついよ。
     わたしの中だけで燻っているはずのかなしさが、さみしさが、翠くんの中に流れ込んでしまうのが嫌だった。なんにも解らないでほしかった。翠くんのしようとしていることが、わたしのされたくないことに一致してしまうのが憎いよ。翠くんはまたわたしの身体をなぞっていく。印をつけるように、キスをされる。長いキス。頭の中が翠くんでいっぱいになって、何にも聞こえなくなって、喘ぐように翠くんの舌に溺れた。窒息死してしまいそう。ねえだめなの。やめてって思うのに。
     子供みたいだった。甘くて、そうやってわたしは泣いた。翠くんの愛とわたしの濁ったところが交錯する。まって、もうすこしまって。ちひろ、と呼ばれる。翠くんは笑わない。わたしの身体のなか、きみの愛で埋められてしまいたくなんてないよ。


    /泡

    かなにめちゃくちゃ影響された あんなに哀しく生々しくできないけどすごくすきです
  • 21 ろの id:aaqLsgP0

    2016-11-08(火) 22:58:10 [削除依頼]


    「一気に寒くなったねえ」
    「家に着くまでに凍えて死にそうだよねあんた」
    「うるさいな」

     星がすこし、出ていた。冷えた指先にはあっと籠るような息をかける。三秒くらいでもとに戻ってしまうそれが憎たらしくて、カーディガンの袖口をいっぱいまで伸ばした。私の手のなかで、あたたかいものがまたひとつ死んだ。
     露野(つゆの)はだぼだぼのマフラーの中に、頬まで顔をうずめてまた、寒いなあと呟いた。大きめの茶色い眼鏡が、紺色のマフラーに押し上げられてすこし歪んでいる。ほんとに凍ってしまいそうだ。

    「露野」
    「ん」
    「あのさ」

     あのさ、の先はまだ考えていなかったけど、黙っていたら露野がどこかへふっと消えてしまいそうだった。そんなことあるはずはないのだけど、冬になるとこの男子高生は途端に、ずるいほど儚くなってしまう。気が付いてふりむくと水たまりになってしまっていそうな__繋ぐものがないマリオネットのような不安定さを帯びる。学ランの下にセーターを着こんでいるのはこの季節彼だけだ。ふわあと白い息を吐くたびに、眼鏡のレンズが白くくもった。

    「どうした?」
    「いや、やっぱなんでもない」
    「なんだよ」


     実はさあ、私あんたのこと好きなんだよ。って言ってやろうかなと思った。露野は鞄からスマートフォンを出していじり始める。

    「露野、明日の時間割なに」
    「おう」
    「時間割がなにか聞いてるの」
    「おう」
    「……今何時かわかる」
    「おう」
    「……」
    「……」

    「露野」
    「おう」

    「好きな人いんの」


     露野はゆっくりと画面から顔を上げて、私の方を見た。驚いた顔を、していた。私はそれに気づかないふりで、前を向いたままマフラーの向きをちょっと直すふりをした。星がすこし出ていた。

    「お前は?」

     星が目にちかちかと眩しかった。肩にかけていた鞄がいきなり軽くなった気がして、頭のなかがふわふわした。透明なものが、わたしの中からゆっくり流れ落ちていく。手をどこにやればいいのか全然わからなくなって、幽体離脱した気分だった。一週間前もこうやって、塾の帰りに並んで歩いた。露野本当に理系行くの?数学できなくて死んじゃうよ。うるさい、斎藤こそほんとに文系かよ。そんな会話をしていた。死んじゃいそうだよ、が口癖になってしまいそうだとか、寒いとか、そんな話をしていた。無意識にカーディガンのポケットからスマートフォンを取り出した。何をするでもなく、ただ沈黙を少しでも意味のあるものにしたくて手当たり次第にいろんなアプリを開いた。焦れたように露野が口を開く。きめた。

    「なあ、聞こえてるのかよ」
    「……ど」
    「ん?」
    「露野だけど」

     顔を見ないように、何も聞かないように、足早に歩きだしながら、突き放すように、できるだけ冷たく聴こえるように、じゃあ、私ここ曲がるから、ばいばい、と早口で付け足した。また明日、は絶対言いたくなかった。

     寒い。自分がどんな感情なのか推し量りたくもなくて、何も考えないようイヤホンを耳に押し込んだ。頬が不自然に冷たくて、泣いているのかもしれないと思った。星がすこし出ていた。カーディガンのポケットの中で一通分、携帯が震えた。誰からの通知かはもうわかっていた。


    /星がすこし
  • 22 ろの id:aaqLsgP0

    2016-11-08(火) 23:22:09 [削除依頼]


    ■  .

    >12 暖色
    cold colorのスピンオフで書いたのだけれどこっちがメインの方がいいと思ったので先に投稿しました ソラみたいな華奢で独特の雰囲気ある子になりたい(むり)

    >14->15 cold color
    歌と絵が同時進行する。レスの区切りでなにか空気の変わる感じ伝わったらすごい嬉しいです
    コンテストに出させていただいたものに加筆しました。余談ですけどコンテストに出したものは2016字だったんですどうでもいい

    >16 狐の嫁入り
    伽は何度か出したいと思っています バスとか時計ってそれだけで切ない感じ出て好きです

    >17 醒酔笑、錯乱した白昼夢
    実はお酒が入っていたよって話、

    >19 ひとりきりのノスタルジア
    なるみ、という響きがとっても好きです。透明に近い藍色みたいな儚い感じ
    別サイトに乗っけたやつを加筆修正しました 同じようなの見つけても転載とかではないので心配ありません、どちらも私です

    >20 泡
    触発されて衝動書きしました。もう好き、こういうの大好きなんですけれど、艶っぽい感じの描写あんまりしないのでうまいこといきません

    >21 星がすこし
    こういうのいいですよね、当事者になれなくてもいいから目撃したい 露野の感じは私のストライクゾーンです
  • 23 ろの id:FZexoz2J

    2017-02-18(土) 14:34:13 [削除依頼]
    >>0

    コンテストに出そうとぎりぎりまで粘ったやつです まだまだ書きたいのですが、テスト勉強そっちのけになってしまうので、戒.めの意味を込めて供養しますね
    また絶対リメイクしてやります…………(怨.念)


    ++





    「わたしのことも、誰かのことも、まったく平等に傷つけることができるような人間でした。ガードレールに凭れ掛かって、猫が空を飛ぶ夢を見ていました。亀が車に轢かれていくのを、ずっと眺めていました。素敵な夜、でした」



     病室の窓の外側を、氷がずるずる滑っていく。冷気だけが伝わってくるようで、わたしは起こしていた体を布団にうずめた。毛布の中で、右手で左腕を、左手で右腕を掻き抱く。雪が降っている。冷蔵庫みたいな病室、何回目かわからない冬。ずっと、冬は夏の終わりだと思っていた。夏と夏の間の季節、だから世界には夏しかないんだ。馬鹿げたお伽噺を、ひとつひとつ作っていく。お菓子をラッピングするみたいに、飾り付けていく。明日か明後日か、よく分からないけど、夏になったら楓くんに聴かせてあげるための話。


     泣きそうな時、死.にたい時、わたしは楓くんにあげるお伽噺を考える。くだらない、独り言みたいな痴呆めいた話を楓くんは傍らで黙って聴いてくれる。続きは、と訊いてくれる。絵が描けなくても、わたしには言葉がある。なによりの虚構を、わたしは私の周りに溢れ返らせていく。もうそれが生きているようなもので、生命活動のようなもので、わたしの全てだった。
     寝た姿勢のまま、わたしはノートを開いて、意味の無い言葉を書くためにまた鉛筆を手に取った。散文ともとれない、からっぽの羅列。苦しいのを誤魔化すためだけの、私のためだけの話。病室の温度は下がっていく。空調がきいていても、わたしにそんなことは関係がなかった。傍にいるべき人、傍にいて欲しい人が居るか居ないかのそれだけが、わたしの生死をきっと、左右している。

     楽しくなかった。楓くんの背中に突き立てた指も、嘘も、ぜんぶ、綺麗な思い出になってしまうのが許せない。
     無力すぎて死んでしまいたかった。ピアノの音がする。君が泣いている。



    エキストラみたいな格好をしていつまで生きていればいい? ねぇ、いなくてもいいならいなくなってもいい? 世界ってそういうもんでしょ? 冷蔵庫みたいなものなんでしょ?
     返事をしてよ。楓くん! 私には君しかいない。夏の死.にそうな湿度にも、融けそうな林檎にも、知らないあいだに君がいるよ。私、もうすぐ、居なくなるかもしれない。


     夏が大嫌いだった。私を窓ごとじりじり焼くような、悪意のある温度をいつも持っていた。冷えればいいのに。夏に雪が降るところに生まれたかったよ、本当に。って、ずっと思っていた。
     けど、楓くんは夏だけにあらわれた。ファンタジーな抽象的なものではなくて、単純に、夏にしか来てくれなかった。私の苦し紛れの、泣きそうなのを紛らわすためだけのくだらない話を聞いてくれるのは楓くんだけだった。だから、私はどれほど死.にそうでも夏を生きなくちゃならなかった。楓くんに、そうしないと会えなかったから。


     死.にそうだよ。助けて楓くん。私の絵を、描いてよ。敬具。

    /氷室のブルース
  • 24 ろの id:FZexoz2J

    2017-02-18(土) 14:35:20 [削除依頼]
    >>23

    未完成です
  • 25 ろの id:FZexoz2J

    2017-03-18(土) 20:16:39 [削除依頼]
     伽はアイスクリームが載ったスプーンを窓越しの月に翳すようにして、上目遣いでそれを眺めていた。頬杖、無機質なテーブル。

    「伽。なにやってる」
    「月が出てるから」

     風のない、寒い夏の夜だった。浴衣が好きな伽は今日も浴衣を着ていた。紺の地に銀の刺繍が映えて、絵画を見ているようだった。
     ゆっくり、罪を犯.すように、伽はスプーンを口へと運ぶ。こくんと上下する幼い喉、そっと閉じては開く濡れたような睫毛、酔ったような舌っ足らずな口調、衣擦れ、浴衣、今夜の伽のすべてがどこか艶っぽかった。夢を見ているようだった。合わせ鏡の中にいる夢。昨日見た夢。崩れそうで、吐き気がした。階下で誰かの弾くピアノの低い音が、ずっと微かに聴こえていた。誰でもない、この家には誰もいない。伽は虚ろな瞳のまま、僕に言う。

    「雪、降ればいいのにね」

     僕は答えずに、出してあった瓶からサイダーのような液体を薄いグラスについだ。不思議そうな顔でそれを見詰める伽の眼球が二酸化炭素と月明かりに煌めいた。細いグラス。夜が更けていく。ピアノの音はもう聞こえなくなって、代わりに伽の鼓動がすこし速度を増したのがわかった。
     僕はすこし笑って、伽を見て言った。

    「それ、載せろよ。雪が降るから」
    「……降るの」
    「ああ、とても」


     慎重に、禁.忌に触れでもするかのように、伽はスプーンをグラスの縁に近づけた。アイスクリームがずるっと落ちて、ちゃぽん、と炭酸水が跳ねる。灰色の部屋の、剥き出しのコンクリートに響いた。泡が、白い塊を溶かしていく。形をなくしていく。キンと音を立てて、スプーンが床に落ちて跳ねた。スプーンに残ったバニラの色。僕が穢したようなものだ。おもむろに、まったく無意識に、流れるようなすべらかな動作で彼女はグラスを呷った。
     雪を飲み込んで、酔ったような顔で、そのまま倒れ込んだ伽はぼくの腕に寄り掛かって、ゆっくり瞳を閉じた。薄い浴衣越しに触れたところが熱かった。空になったグラスが伽の手から滑り落ちて、スプーンの横に落ちて割れた。残像、走馬灯。僕は残りのシャンパンをひとくち飲み込んでから、酔いがまわるまえに、伽が死.んでしまうまえに、今夜いちばん優しい声で囁いた。これがお別れだと思った。

    「おやすみ。ごめん」

     しゅわしゅわ夏の音を上げながら、アイスクリームと伽と僕が月に溶けていく。吐.きそうだ。



    /醒睡笑と走馬灯


    リメークです
    春のお話が書きたいです……書けよ……
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