渇望

SS投稿投稿掲示板より。


1    ichi  [id : FIjgBbg1] [2015-02-04(水) 17:31:42] 削除依頼

 言葉を求めている。
 克明に鮮明に、抉るように深く、魂にまでも刻みつけるような。

 永遠に、忘れることの出来ないような。


 今日もまた、君に言葉は届かない。

18 ichi  [id : maTPU8k1] [2015-02-16(月) 18:34:11] 削除依頼

09/残滓

 俯きがちに歩いてきた青白い顔のひとりの青年は取って付けたような仏頂面のままで私の足元に腰を降ろした。
 しばらく居心地悪そうに身動きしていた彼だけど、やがて落ち着いたようで未だ成長途中の骨ばった硬い背中を私に預けると脇に置いた鞄から黒い革の栞の挟まる古びた文庫本を手に取る。けれど読み始める気配は無く、青年は文庫本を読むのを勿体ぶるように手のひらの中で右に左にと弄んだ。

「…………そろそろ入院だって」

 不意に奥歯に物が詰まったような歯切れの悪いくぐもった声で語りかけるようにそう零すと、強く吹いた風に赤いダッフルコートに包まれた身を震わせて寒そうにこれまた赤いマフラーに顔を埋める。
 入院って、なんだろう。
 よく分からないけれど落ち込んでいる様子の彼を励まそうにも全ての衣が落ちて丸裸になった私には青年を励ます術は残されていない。
 それでもと大きく広げた無数の腕を震わせると、驚いたように大きな瞳を開いた青年は愛おしむようにどこか儚い笑みを見せてくれた。

「寒いの?」

 言うなり自身に巻いていたマフラーを解き、自身の身長と同じ高さの腕へとその鮮やかな赤を絡めてくれる。

「貸してあげる。いつか返してもらいにくるね」

 生きてればさ。誰にともなくそう呟いた青年は硬くごつごつした冷たい私の体にそっと骨の浮き出る痩せた手を触れた。

 あれからいくつ、私は衣を脱いだろう。
 青年の身長の高さだった腕は私の背が伸びるのに従い位置を上げている。そこには未だ、雨風に晒され続けた真っ赤なマフラーが揺れていた。

 私は今日も、あの青年を待ち続ける。

19 尹茅@ichi  [id : /8l5b8D1] [2015-02-19(木) 20:16:38] 削除依頼

10/欅の梦

 少年は赤い青年に出会った。

 雪の降った今日。地元の人も知らないであろう入り組んだ道の先にあるお気に入りの荒れ果てた雑木林に、少年は当然の様に居た。迷路のように入り組んだ木々の間を縫って迷いなく進み、ぽっかり開けた此処で一番大きな欅の巨木が佇むその場所へ辿り着く。
 いつもならそのどっしり構えた大きな姿を見上げるのだけれど、今日は太く張り出した木の根本に目が釘付けになった。
 木の根元にもたれ掛かる、雪の積もった赤い物体。白と茶色で構成された世界に唐突に現れた目の覚める様な鮮烈な赤は、少年にえも言われぬ衝撃を与えた。 その物体から立ち上る白い息と雪の積もる頭を見て初めて少年はそれが人だと認識し、近寄って大まかに雪を払い落とす。
 その人物は紙の様に白い肌をしている、どこか日本人離れした顔立ちのまだ若い青年だった。

「何、してるの」

 少年の声に反応して青年の閉じた長い睫毛が震え、次いでゆっくり開けられた目蓋の下からは零れ落ちそうな程に大粒な瞳が覗く。

「まふらー、引っかけちゃって」

 その瞳に濁った色を浮かばせどこか舌足らずな口調でほら、と未だ雪の残る真っ赤なダッフルコートの下から寒さで同じくらい赤く染まった細い指を覗かせる。折れてしまいそうなくらい細い指先の示す先を辿ると確かに欅の低い枝にこれまた目立つ赤いマフラーがはためいていたけれど、それは周りの枝と同じく雪を被っていた。

「何時からいるの」
「これが引っかかってから、ずっと」
「自分で取らないの」
「私じゃとれない、んだ」

 眉を寄せて聞いた少年に、青年は色を無くした薄い唇を横に押し広げると淀んだ大きな瞳を三日月に細めて今にもぼろぼろに崩れ去ってしまいそうな儚い笑みを形づくる。
 少年は無言で木に手を掛けて登っていくけれど、雪の積もった枝は冷たくて滑りやすい。やっぱり声には出さずに奮闘する少年を知ってか知らずか、青年は不思議なメロディを口ずさむ。

「赤い夢に囚われた、黒に染まった哀れな道化」

 壊れたラジオみたいに、繰り返し繰り返し。抑揚の無い扁平なリズムで。登っている間じゅう延々と繰り返される単調な短いメロディから逃れたくて、かじかむ指先を無理に伸ばして赤いマフラーをもぎ取る様に掴んだ。

「いつか目覚める、いつか夢見る、君の――」

 同時にぶつ、と青年の平坦な声が途切れる。それを不審に思いながらも掴んだマフラーと共に木から飛び降り青年を振り返ると、そこには誰の姿も無い。
 青年の居た場所に歩み寄っても、剥き出しの茶色の地面と木の根が覗くだけ。ぶるりと震えた少年は、確かめるように手に持つそれに目を落とした。
 裾のほつれた鮮血の様に鮮やかな色のマフラーは、確かにここに存在する。

 雪に包まれた巨大な欅はどこかいつもと違って見えた。

20 尹茅@ichi  [id : bvDOESS/] [2015-02-21(土) 12:23:45] 削除依頼

>14 01/〜05/

>14 06/埋もれゆく
“あの人”はライバルだったり。あるいは自分の醜いこころだったり。
叶わない願いはどこへ消えるのかな。

>14 07/あいのかけら
バレンタインなので。
テンポのいい会話を目指した。
文章ももうちょっと軽くしたほうがこのお話には馴染んだかも。

>14 08/no title
自分が心底嫌になる、そんなときはありませんか。
そんな気持ちに名前をつけるのは自分自身だけかなあって。

>14 09/残滓
青年と欅の木のお話。
時系列的に「欅の梦」から随分前の時の話。

>14 10/欅の梦
冬の短編集で書かせて頂いたもの。
マフラーを取りに来れなかった青年は何を思って少年に託したんだろう。

21 尹茅@ichi  [id : stgpSmh0] [2015-02-24(火) 19:02:06] 削除依頼

11/LOVE YOU!!

「織、部活お疲れさま! 好き!」
「知ってる」

 勢いよく抱きついて男らしい硬い胸板へと頭を擦り付けると、思い切り顔を顰めた織はかたちのいいアーモンド型の瞳を怒らせて私を見下ろした。

「離れろ、暑苦しい。早く帰るぞ」

 べりっと音を立てそうな程あっさりと私を引き剥がすと、すぐさま背中を向けて歩き出す。背中に背負われた大きなスクエアバッグは少しチャックが開いていて、そこからは土埃に茶色く汚れた練習着が覗いていた。
 ……織が今日も部活頑張ってきて疲れてるのは知ってるけど、でも、でもさ!

「何で美桜に好きって言ってくれないの! 美桜、彼女なのに!!」
「誰が言うか」
 
 私はちゃんと、織の彼女なのに! 口を開けば呆れか怒りしかないなんて、どう考えても彼女に対する扱いじゃない!
 長い足で、大きな歩幅で。見る間に先へと進んで行ってしまう織の背中が小さくなっていくのに反比例して、私が少しずつ少しずつ押し込めてきた不安の蓋が外れて溢れ出し、胸の内を黒く染め上げていく。そうしてふと私を振り返った織の何気ない一言は、ギリギリまで張った私の感情のダムを決壊させるのには充分すぎる程の力を備えていた。

「笹野? 帰んねえの」

 いつもなら飛び跳ねるようにして織を追いかけるのに、その場に突っ立ったまま微動だにしない私に織は訝しげに眉を寄せて声を上げた。

「…………じゃないから」
「は?」
「美桜の事なんて、好きじゃないから! だから織、美桜のこと名前で呼んでくれないし、ぎゅってしてくれないし、好きって言ってもくれないんだ!」

 突然の私の大音声に、周りを歩いていた生徒たちがぎょっとして私を避ける。突き刺さる無遠慮な視線が居心地悪くて、自分のしたことが恥ずかしくて。我に返って慌てて小さく身を竦めると、途端に頬に熱が昇る。
 下がった視線に土埃を被って鈍く光る黒いローファーが映り込んだのは、それとほぼ同時だった。

22 尹茅@ichi  [id : stgpSmh0] [2015-02-24(火) 19:02:47] 削除依頼

「お前、ちょっとこい」

 冷たさを通り越してむしろ平淡になっている織の声に体が震えた。織の静かな怒りが怖くて無言で俯き続ける私に業を煮やしたのか、強引に私の手首を引いた織は校門を出て学校近くの公園へと足を踏み入れた。

「織、離し……っ!」

 先を歩いていた広い背中は、私の震える声にぴたりと止まって。勢い余ってぶつかると、既に振り向いていた織の逞しい腕に支えられた。

「お前さあ、馬鹿じゃねえの」

 ナイフのような鋭さを持つ言葉は容赦なく私を抉る。視界いっぱいに広がる織の黒い学ランが霧がかったように滲んでぼやけ、かたちを曖昧にしていく。

「わかってるもん、みおう、ばかだもん! だからしきだって、っく、しきだってぇっ」

 腕に私を抱いたまま黙って嗚咽が混じる私の声を聞いていた織は、えぐえぐと泣き出した私の顔を裾で乱暴に拭ってため息をついた。

「毎日部活終わりにお前の相手すんの、すげえ疲れるって知ってんだろ」
「しってる……」

 これはもしかして別れ話だろうか。途端に湧き出す私の滂沱の涙を見た織は舌打ちして再びごしごしと乱暴に目元を拭い、私に言い聞かせるように涙に濡れる顔を覗き込む。

「俺がわざわざ毎日一緒に帰ってやってる意味、少しは考えろよ」

 予想に反して降ってきた織の声は、滅多に聞けない激レアな甘さを含んだもの。耳朶を打った甘い声に涙を流すのも忘れて呆然と見上げると、いつも不機嫌そうに眉を寄せて目を細める織の目元は僅かに朱く染まっていて。

「……しき」
「帰るぞ、美桜」

 それを隠すようにばっと腕を離して歩き出した織の背中に、私は思いっきり抱きついた。

「織! 愛してる!!」
「知ってる」

23 尹茅@ichi  [id : DIhSYk3.] [2015-03-02(月) 18:11:51] 削除依頼

12/常闇

「馬鹿じゃないのって嗤う?」

 女のぱさぱさに乾いた色の無い薄い唇が開く。ひび割れた硝子を擦り合わせたかのように耳障りな音を立てて暗い部屋に放られた言葉は何の返答も得ることは無く、独りきりの狭い部屋に溶けて滲んだ。

「何の努力もしてないのに勘違いもいいところよね」

 自嘲げに片頬を上げ、暗闇にも青白く浮かび上がる腕を壊れた機械のごとく緩慢で規則的な動きで伸ばす。
 がりがりに痩せて骨が浮き出る体の薄い皮膚の下に流れる青黒い血管の中の血液でも検分するかのように眼を細め、自身の手首を凝視していた女は噛み締めた唇が切れて血が滲むのには気づかない。

「プライドばっかり高くて無知で傲慢で」

 小さなテーブルの上で揺らめくたったひとつの仄かな炎を灯す燃え尽きかけた蝋燭の上に、先の鋭く尖った爪を備える手を翳す。壁に映った大きな影がざわめくように大きく揺れるのを見て詰まらなそうに鼻を鳴らした。

「結局私は惨めでいるしかないじゃない」

 女の声に応える者はこの空間には存在しない。黒く澱んだ霧が立ちこめるこの小さな閉鎖空間で女は常に独りきり。
 瞬く間に燃え尽きた蝋燭は唯の燃え滓へと姿を変え、冷え切った蝋の固まる女のように無用な存在へと成り果てた。

「そんなこと知ってるわ」

 昏く閉ざされたこの部屋で、女は何を思考する。
 外へと出るため足掻くのか。このまま朽ち果て塵と化すのか。

「私は永遠に、愚かなままよ」

 女の洞穴のように落ち窪み生気を失った黒々とした両眼には、何をも映りはしない。

24 尹茅@ichi  [id : /xB6pqw0] [2015-03-15(日) 19:12:26] 削除依頼

13/つぼみ

 町中にありふれた、あるひとつのファストフード店。夕暮れ時の込み合う店内の大通りに面した窓際、隅のカウンター席に座るのは制服を着た高校生の男女である。ずず、と音を立てて最後のコーラを飲み込んだ淳平は隣で黙々とポテトを摘まむ沙羅に痺れを切らしたように渋々重たい口を開いた。

「……今日は何の日だ、沙羅」
「ホワイトデー」
「はええよ! もっとこうホラ、お返し貰えるかな〜、でも直接言うのは恥ずかしいな〜、みたいな恥じらい見せろよ女子だろ一応! 麻耶ちゃん♡だったら絶対やるのに!!」

 間髪入れずに涼しい顔で返答する沙羅に対して机に突っ伏し奇声を上げて悶える淳平は、未だ先月のバレンタインを引きずっている様子。そんな淳平の後頭部を眺めて頬を緩めていた沙羅はふと視線を上げて窓の外を見、ある人物の姿を認めて目を見開いた。
 いつもならツッコミのひとつでも入れてくれる沙羅が何のリアクションも起こさないことを不思議に思って頭を上げた淳平は沙羅が窓の外を凝視しているのに気づき、訝しげに沙羅の名を呼ぶ。

「え、何だっけ?」

 声に反応して身を震わせ、ぱっと視線を逸らして気まずげに向き直る沙羅の態度はいつもの冷たいそれではない。どうしたのかと沙羅の視線の先を辿るとそこには淳平が愛してやまない天使の姿が見えた。

「……麻耶ちゃん」

 けれどその天使が学年屈指の好青年と寄り添い手を繋いでいることに、沙羅が気まずそうに眉を下げていたんだと思い至った淳平は苦笑した。そうして居心地悪そうに身を縮める彼女にぽんと放るのは、わざわざ女子の好きそうな店を探して恥を忍んで買った可愛らしいチョコレートの詰め合わせである。女の子受けする可愛らしくラッピングされたそれに目を丸くする沙羅に、淳平は自慢げに胸を張った。

「どうだ沙羅、お前のために買ってきてやったぞ」
「あんたよくこんなの買えたじゃん」
「麻耶ちゃんに貰えた時の予行演習だからな」

 その言葉に安堵したかのように息を吐いた沙羅。目を細めて淳平を見下ろすその仕草は全くもって普段通りの彼女である。

「ありがたくもらってあげる」

 にっこり微笑んで小さな箱を振る沙羅につつと視線を逸らした淳平の頬が赤くなったのは、きっと彼らの春がすぐ側に来ているからなのだろう。

25 尹茅@ichi  [id : rp4/cN6.] [2015-03-24(火) 20:31:03] 削除依頼

14/葉擦れ

 ふとした瞬間に鼻を擽るグリーンノートの爽やかな香りが好きだった。
 ふわりと包まれるその香りに、いつだって全幅の信頼を寄せていた。

「やっほう、久しぶり」

 片手を上げて朗らかに笑う彼女から同じ香りがするのに長い間、何故だろうって考えないようにしていたのは自分だけだった。

「久しぶり」

 ひらひら振られるその手の先に光る、活発な彼女にはあまり似合っていない華奢な銀の環にすぐに気がついたけれど、左じゃないなんて言い訳をしてそっと眼を逸らす。隣に滑り込むようにして音もなく腰を降ろした彼女はくっきりとした二重瞼をくしゃりと崩し三日月型に歪めて笑った。

「気づいてるくせに触れてもくれないの? 相変わらず薄情だなあ」

 そのリングは君に贈られるものだったんだね。
 そんな些細な皮肉さえ口に出来ないのだから、そんなことを要求するのは高望みがすぎると言うものだ。

「……これね、彼にもらったの」

 らしくない。お互いに。
 頬を染めてはにかむ彼女をぼんやり眺めながら、人の良さそうな柔らかな顔立ちに皺を寄せてリングを選ぶ親友の姿を脳裏に描く。ふたりを思い描くたびにグリーンノートが香るのは、一体いつからだったんだろう。

「おめでとう」

 僕にはこれしか残されていない。
 顔の皮膚に貼りつけるように載せた精一杯の笑みは、君にきちんと通じただろうか。

26 尹茅@ichi  [id : VXjnGkM.] [2015-04-07(火) 17:50:32] 削除依頼

15/夜光蝶

 そっと伸ばした指先に、淡い燐光を放つ大きな蝶が音もなく舞い降りる。ふわりふわりと揺れる翅からは星屑の輝きを宿す鱗粉が躍った。
「レハウル」
 呼び声に応えてくるりと振り返る少年の指先からは蝶が再び翅を広げて舞い上がる。優美ささえ感じさせるゆったりとした動きで翅を動かす自身の拳ほどの大きさもある蝶を見上げた少年は、大きく開け放たれた金縁の窓から蝶が満点の星空に融けてゆくのをじいっと見つめていた。
「今夜も来たのか」
 厚みのある滑らかな重低音が響き、大きく節くれ立った手がレハウルと呼ばれた少年の頭に乗せられる。力強い掌からじんわりと伝わるぬくもりに頬を緩めた少年は嬉しさを隠しきれない様子で静かな聡明さを窺わせる深い蒼の瞳を持つ叔父へと視線を巡らせた。
「はい、叔父上。今日は遂に僕の手へ停まったのですよ!」
「そうか」
 短い一言とゆるりと細められる目の中から正確に叔父の愛情を読みとった少年は、心底幸せそうに頭に置かれた叔父の掌へと柔らかな頬を擦り寄せた。

27 尹茅@ichi  [id : CNA0Hpt0] [2015-04-07(火) 19:50:05] 削除依頼

>14 01/〜05/
>14 06/〜10/

>14+22 11/LOVE YOU!!
一途なアホの子が書きたかった。
ぶっきらぼうだけどちゃんと想ってくれてる男子とか大好物です。

>14 12/常闇
ちょっと受験で気分的に落ちてたとき。
自己投影に近いかな。

>14 13/つぼみ
バレンタインのふたりの続編です。 
一日ズレちゃったのが悔しい。
 
>14 14/葉擦れ
グリーンノート、って考えて出てきたお話。 
指輪が話に出てきたのは二回目だなあ被っちゃった。

>14 15/夜光蝶
眠る前にパジャマで窓辺に立ってみませんか、
ファンタジー系に挑戦しようとして失敗した跡が窺えます。笑
 

28 尹茅@ichi  [id : 7mUhO63.] [2015-05-13(水) 16:33:34] 削除依頼

16/青い果実

「別れたいな、って、思っちゃった」
「……そっか」

 綺麗なものや整ったものが好き。私にとってそれは物に限らず、景色や人や、その他いろんなモノ全てだった。

「ごめんね、今までありかとう」

 だってほら、こうやって別れを告げている今でも、私は貴方の端正な横顔はやっぱり綺麗だと思っている。

29 尹茅@ichi  [id : 7mUhO63.] [2015-05-13(水) 16:35:07] 削除依頼

「続かないよねえ、蘭も」

 丁寧に手入れされたことが一目で分かる艶の浮く黒髪に、卵のようにつるりとした白い肌。
 名を呼ばれた少女は、くるりと弧をえがく睫毛をぱちぱち瞬いた。

「また別れたんだ」
「……好きだと思ってた、よ」
「実際は違ったんだ」

 ついと逸らした視線は、つい先程別れた彼へと向けられる。恋人だったというフィルターを抜いても純粋に格好良いと認識できる彼に、蘭は小さく首を傾げた。

「好みだから付き合うって、間違えてる?」

 それは純粋な疑問。不意に投げかけられた質問に、友人は眉を寄せて腕を組んだ。

「きっかけとしては、間違ってないんじゃないの」
「じゃあ、どうして」
「問題はそこからよ。あんたはあいつを鑑賞したかっただけなんじゃない?」

 確かに蘭の好みのど真ん中にいた彼は見ているだけで目の保養になったし、蘭はそれで満足していた。それが彼と付き合うことになったのは、単純に蘭が彼のアプローチに押されたからである。

「優しくて格好良くて、何も悪いところなんて、なかったよ」
「それでも別れたかったんでしょ」

 蘭にも理由なんて分からない。彼の整った顔立ちはいつまで見ていても飽きなかったし、折に触れて感じる彼の優しさは確かに、くすぐったくも心地の良いものだったのに。

「……わたしが悪い?」
「誰もそんなこと言ってない」

 じゃあどうして。何も悪くない彼を振った蘭は、自分がひどく冷酷なやつように思えてならなかった。

30 尹茅@ichi  [id : 7mUhO63.] [2015-05-13(水) 16:36:19] 削除依頼

 向けられる微笑みに、無条件に与えられる好意に。胸の詰まるような息苦しさを覚えるようになったのはいったい何時からだったのだろう。蘭は彼の恋人なのだから、そういった無条件の愛は、何もおかしくはないはずなのに。

「ごめんね、今日はちょっと体調悪くて」
「ごめんね、その日は予定入っちゃってた」

 嘘をつくたび、柔らかく目尻の解ける彼の笑みが蘭の脳裏にちらついた。それは鋭くも鈍い痛みとなって、蘭の心臓を時折じくりと蝕むのだ。膿んだようにいやな熱を放つその傷口は広がりもせず、かといって治りもせず、常に彼といる蘭の心の内に存在した。

 いっそ嫌われたのなら、どれだけ楽なのだろう。
 ふと思い浮かんだ考えに愕然とした。

 だからきっと、これは蘭が悪いのだ。彼のことを好きなのだと勘違いしていた蘭が。
 別れた今でも、彼のことを格好良いと平然と眺めていられる蘭は、彼のことを本当に好きではなかったのだ。蘭の気持ちは、モノを鑑賞してそれを綺麗だと称える気持ちと同じだったのだ。

 なんて自分勝手なんだろう。

 彼は私を見て一瞬、気まずそうに目を眇めるのに私は平然と彼の瞳を見つめていられる。
 結局こういうことなのだ。

「ごめんね」

 触れた温もり、仄かに香る柔軟剤、耳朶を打つ低音の声。全てを憶えているけれど、それらは薄い膜に幾重にも包まれた思い出となって私の奥底へと仕舞われた。

31 尹茅@ichi  [id : lTHpNk0/] [2015-05-16(土) 11:33:20] 削除依頼

17/死にたがり

「またなの?」


 白い布で吊られている右腕と窮屈そうに小脇に挟んだ松葉杖を見て半目になった僕に、君は僅かに目を細めることで応えた。僕の隣に腰を降ろした拍子にふわりと病院独特の青臭い消毒液のにおいが香り、汚れでくすんだねずみ色をしたリノリウムの床を連想させる。吊っていない左の手のひらの上で鮮やかな赤色の林檎が踊り、ぽうんと跳んでベンチへ座る僕の膝へと着地した。それを手にとって眺めると微かに甘い香りを漂わせる熟した林檎には、細かな無数の傷痕がうっすら見えた。

「残念、前は左腕だよ」

 でももう完治してるんだよねえと詰まらなそうに左腕を前後に大きく振る君を慌てて止めて脇へとずれて彼の座る場所を譲る。彼は僕の手に収まる林檎を無言で見つめてから、不服そうに口を尖らせて空けたスペースへと腰を降ろした。

「もう止めなよって言うの、何回目かな」

 僕の言葉に額に皺を寄せて鼻を鳴らした君は指を折って回数を数えていたようだけど、片手を超えたあたりから面倒になったのか無言のままその答えを放棄した。

「もう止めなよ」

 君の返事を貰っていない僕は再び言ったけど、肯定の返事が返ってきたとしても君が止めないことを知っている身としては何とも白々しい言葉だ。彼もそれを理解したのか、口を結んだまま僕の手で所在無さげにしている林檎を手に取り、再び左の手の上で弄ぶ。

「……今回は失敗しない筈、だったんだけどなあ」

 色の無い薄い唇から吐き出された吐息は確かな重みを持って干からびてひび割れた地を這う。伏せた睫毛の下の硝子玉のように空虚な瞳にはありありと疲労の色が滲み出ていた。

 何時だって昏い瞳をした、何時だって怪我をしている君は今日もまた、色褪せた世界に生かされる。

32 尹茅@ichi  [id : ltkv9C6/] [2015-06-02(火) 22:08:16] 削除依頼

18/甘露

「忘れてた」

 気怠げな瞳を細めてそう言うから、私は曖昧に頷いてユズを許すんだ。


「ん、今……何時?」
「八時。遅刻するよ、ユズ」

 寝乱れた髪に手を突っ込んで更にぐしゃぐしゃとかき回すユズにため息をつき、ドレッサーへ無造作に投げられたブラシに手を伸ばす。軟体動物のようにぐにゃぐにゃになった身体をベッドへ沈めるユズの、濡れたように艶やかな黒髪へとブラシを差し入れると、ユズは喉の奥で満足げな笑い声を立てた。

「ありがと、カナ」

 厚手のカーテンの隙間からこぼれる黄色い日の光に透かされたユズの身体は驚くほど華奢で繊細で、透明なガラス細工のように今にも溶けてなくなってしまいそうな危うさがあった。
 目を細めて気持ちよさそうに髪を潜るブラシを受け入れるユズは、まるで気紛れな猫そのもののような気がして。私は折角とかしたユズの髪へと指を差し入れ、さらりと滑る髪を思う存分弄んでから、ユズの纏うくたびれた薄いタオルケットを引き剥がした。

「……ひどい」

 身体を丸めてぶるると震えるユズをぺしりと叩いてテーブルへと促す。大人しくテーブルへついたユズは骨ばった指を伸ばして目玉焼きの乗ったトーストにかぶりついた。

33 尹茅@ichi  [id : ltkv9C6/] [2015-06-02(火) 22:10:17] 削除依頼

「ユズ」

 もしゃもしゃとトーストを咀嚼するユズは普段と全く変わりがないようでいて、けれどそれはきっとわざとかたちづくられたものなんだと私は思っていた。部屋に満ちる無音に耐えかねて名を呼ぶと、呑気に欠伸を返したユズは不思議そうに小首を傾げて私を見る。

「私、今日でもう、」
「ああ、もう今日なのか、忘れてた」

 私の言葉を遮ったユズのきゅうと細められた瞳は相変わらず、何も映ってはいなくて。ユズは本当に、今日がその日だということを忘れていた。胸にこみ上げるにがいものを呑み込んで、私は曖昧に肯いた。
 ユズはいつもそうだ。来るものは拒まず、去るものは追わない。私だって、そんなユズに助けられたもののひとりの筈なのに、ユズを独占したいと思い始めたのは何時からだろう。
 ずっと前から決めていた。ユズに本気になったのなら、必ずその側を離れると。ユズの側は何故だかとても居心地が良くて、真綿で丁寧に幾重にも包まれたようなこの生活が、永遠に続くような気がしてしまうから。

「じゃあ、行くね」

 私物なんてこの部屋にはほとんど無い。それはずっと心掛けて来たことだった。

「カナ、」
「……柚」

 狡いひとだ。またそうやって私を喜ばせて、甘く心地好い空間へと絡めとろうとする。

「いつでも、戻ってきてね」

 ぷくりとした唇から真珠のような小粒の歯を覗かせて囁くユズに、私は今まで何度絆されたのか。

「今までありがと、奏汰」


 彼女は小さく口角を上げて、ひとつひらりと手を振った。

34 尹茅@ichi  [id : AekzzCR/] [2015-07-02(木) 11:26:17] 削除依頼

19/翡翠

 考えても考えても、答えの出ない問題を前に嘆息する。いくら考えても納得の行く答えを出せることのない問いは、青年にとってとても重要な意味を持つものだった。

 にゃあ、という鳴き声に視線を下ろす。ベンチに座る青年の足元にはいつの間にか、ぴんと尾を立てた黒い猫が纏わりついている。くるんとまわって尻尾を擦り付け青年を見上げる黒猫は、鮮やかなエメラルドの瞳をしていた。

 思わず抱き上げると、大した抵抗もなく青年の腕に収まる猫は柔らかくてあたたかい。のぞき込んだ猫の瞳は一度きらりと光を放つ。
 すうと細められた光彩は吸い込まれてしまいそうなほどくろぐろとしていて、その翠の瞳に映る青年は酷く情けない顔をしていた。
 猫は抱き上げられているのが不満だとでも言うように、尾でぱたぱた青年の手を叩く。放してやると我が物顔で青年の膝の上に陣取り、満足気にひとつ鼻息を鳴らした。
 大欠伸して目を閉じた猫の、艶々したビロードのような触り心地の毛皮を堪能する。短毛でありながらふかふかの毛皮には何とも言い難い魅力があった。

「お前は楽そうでいいな」

 うみゃあ、と鳴き声を上げて半目で青年を見上げ、青年の膝に爪を立てて抗議するその態度はまるで傲岸不遜な女王様のよう。痛、と眉を顰めた青年の顔を確認した猫は再び顎を落とした。
 日の当たるベンチ。ぱたりぱたりと揺れる尻尾に、ごろごろと喉を鳴らす黒猫を膝に乗せる青年の表情は本人が気がつかないだけで、穏やかそのものと言えるであろう。

 くあ、と欠伸をした猫は、くるりと丸まり眠りについた。

35 尹茅@ichi  [id : oQebIGX1] [2015-07-16(木) 17:16:23] 削除依頼

20/ have a good night sleep.

 触れたてのひらが熱い。

 りぃん、と幾重にも響く虫の音に眉を寄せて寝返りを打つみなみは、身体にかけたタオルケットを小さな両腕に抱き込んだ。
 汗で貼りついた長い髪を整えて、苦しげに唸るその額に浮かぶ汗を、手にしたタオルでそうっと拭ってやる。火照った肌に私の低い体温は心地好いようで、みなみは掠めた掌を探して頬を擦り寄せた。
 つきたてのお餅を連想させる白くふくふくとした頬に指を滑らせて頬を擽ると、くすぐったいのかふにゃりと表情が緩む。それがまた可愛くて、自然と頬が綻んだ。

 子供用の小さな蒲団に収まる彼女。何をしても全てが愛おしく感じるその姿に、私も充分親馬鹿なんじゃないか、なんて思ったことも少なくない。
 はふはふと小さな呼吸を繰り返す彼女の、小さくシワの寄っていた眉はいつの間にか解けてきていた。
 これ幸いと、まさしく天使というような寝顔を心行くまで堪能する。小さな鼻や閉じられた小さな瞳、全てが小さく丸く柔らかいみなみは、それでもちゃんと私やあの人の面影が伺える。

 階段を上る小さな足音、次いで控えめな金属の触れあう音が虫の音に紛れて響く。私はそれが聞き間違えでないことを確認してから、みなみに寄り添っていた身体を起こした。

「おかえりなさい」

 大きな音を出さないようにそっと開かれた玄関扉から覗くのは、いかにも草臥れたサラリーマンといった風体の私の夫。ただいま、と柔らかに微笑むこの人の目元は、そっくりそのままみなみに遺伝しているよう。

「みなみは?」

 ネクタイを緩めて鞄を放ったあの人がまず口にするのは、何時でもみなみのこと。寝ちゃったよ、と言ってやればしょんぼりと肩を落とす姿はまるで叱られた子犬のようで、こっそりと楽しんでいることはまだ内緒にしておこうと思っている。
 静かな寝息を立てるみなみの脇に膝をついたあの人の、柔らかな目元を更に緩めて、愛おしげに彼女を見つめる視線が堪らなく好きだといつも思う。

36 尹茅@ichi  [id : oQebIGX1] [2015-07-16(木) 17:17:35] 削除依頼

「ただいま、みなみ」

 いつものようにそっと額に唇を落としてから、くるりと私を振り返る。元気出た、とはにかむあの人を見て、私もまた元気を貰っていることは、きっと知らないのだろう。

「君も。いつも待っていてくれてありがとう」

 言いつつ伸ばされた手に抗わず、ゆるりと引かれるまま、あの人の懐に収まる。ふんわり香る煙草の匂いと共に額に落とされるキスは、ただひたすらに優しいもの。柔らかく触れたぬくもりに、どうしようもなく頬が緩むのが何だか恥ずかしくて。胸元へぎゅっと頭を押しつけた。

「私、子供じゃないわ」
「うん、僕の可愛い妻だよ」

 あの人の穏やかな眼差しは、見ていなくたってありありと思い浮かべることができる。

「幸せよ、私」
「それはよかった」

 唐突な私の告白に驚くこともなく、私の背を緩く叩いて促すあの人。名残惜しさを感じながらも大人しく離れた私の顔を見たあの人は、眉を下げて苦笑した。

「今度はきちんと休みを取るよ。みなみと三人で、どこかへ遊びに行こう」
「……本当? 絶対よ?」
「うん。だから君ももうお休み。明日も早いんだろう?」

 ほら、と言ってみなみの隣に敷かれた蒲団を叩く。それに従って渋々蒲団に横になると、あの人は私が一番好きなあの瞳をして、真っ直ぐ私を見下ろした。

「お休み、いい夢を」

 言葉と共に唇に落とされたそれに、私は深く満足して瞼を閉じる。
 今夜は何だか、幸せな夢を見られるような気がした。

37 尹茅@ichi  [id : oQebIGX1] [2015-07-16(木) 17:33:28] 削除依頼

>14 01/〜05/
>14 06/〜10/
>14 11/〜15/

>14-30 16/青い果実
人を好きになるって、どういうことなんでしょうか。
ちょっと実体験も交えつつ。

>14 17/死にたがり
掌編集に載せたものです。色褪せた灰色の世界を描きたくて。
全てを諦めてしまったら、一体何が残るんですかね。

>14+33 18/甘露
これも掌編集に。ユズは小悪魔を地で行く少女です。
ミステリアスで妖しげな雰囲気を目指したら全てが隠れてしまいました。笑

>14 19/翡翠
何が描きたいのかが分からなくなって、迷い迷い書き上げて勢いで投稿。
青年は私自身なのかもしれませんね。

>14+36 20/ have a good night sleep.
幸せな家庭を描きたくて。
何時までも恋してる夫婦ってすごく素敵だと思うんです。

38 尹茅@ichi  [id : gsNHvfy/] [2015-08-04(火) 03:17:24] 削除依頼

21/歪に歪む


 さざなみのような嘲りの嗤いが広がる。
 結々を中心に広がるそれは何時だって、結々の意思とは関係ない。それはただ、結々を貶めるためだけにのみ起こるさざなみなのだ。
 それは結々のクラスメイトたちの、耳の横まで裂けて開いた、三日月型の真っ赤な口から洩れていた。

「結々、また転んでるの、だっさーい!」
「結々、また汚れてる、汚ーい!」

 鼻を摘まんで口々に囃し立てるクラスメイトたち。愉悦にかられて歪にゆがんだ瞳は、結々のそれよりよっぽど暗く淀んで、もう結々なんて見えていないことを知っている。
 それらの日々はもちろん辛かったけれど、決して結々の肌に跡を残さない彼らに、結々は一体どうしていいのか分からなかった。

 何時だったか、優しいお兄さんが教えてくれた。誰かが乱暴したって証拠がきちんとあれば、やり返しても「せいとうぼうえい」で、やり返した人は悪くならないんだって。

 だからきっと、誰かが結々に怪我をさせれば、「せいとうぼうえい」は成立するのだ。

39 尹茅@ichi  [id : gsNHvfy/] [2015-08-04(火) 03:19:05] 削除依頼

「おい、結々!」
「……なあに、響くん」

 結々の赤いランドセルを乱暴に掴んだ男の子は、一番初めに結々を嗤った男の子だった。
 黒板消しをぶつけて結々を真っ白にして、そうして結々が泣くのを見て嗤っていたことは、決して忘れてはいない。げじげじの眉を逆立てて怖い顔をする響に、結々は無機質な瞳を向けた。

「お前っ、なんでそんな顔するんだよ!」

 一方的に喚き立てる響。
 結々はただ、何の感情も浮かばないままに、蚯蚓のようにぐねぐねとうねる響の口元をじいっと見つめた。

「前はそんな顔、してなかったくせに!」
「あ、」

 ぐん、と乱暴に揺られるランドセルに振り回されて思わず尻餅をつく。転んだ拍子にアスファルトに擦った膝から滲む赤黒い血を、ひどく緩慢な動作で見下ろした。

「結々!」

 じりじりと伝わるアスファルトの熱に灼かれながら思う。
 これは、「せいとうぼうえい」に、数えられるのかな。

「結々っ!」

 仕返しをしても、いいのかな。

「結々! こっち向けよ! 何か言えよ!」

 ぱん、と乾いた音が響くのを、確かに聞いた。
 それから一拍遅れて、じんじんと燃えるような熱さを放つ左頬の存在を感じた。

「ひっ! ……お、俺っ、俺じゃ、ない! 結々が、結々がこっち見ないのが悪いんだ!」

 そっと触れてみた左頬はやっぱり熱くて、ちりちりひりつく痛みを伴うことに気がついた。
 まるで見えない誰かが自分を操ったとでも言いたげに、結々の頬を打った右手を抱きしめた響。取り乱したように叫ぶ彼の、黒い双眼が動揺に揺れるのを見て、結々は緩く口角を上げた。

「……響くん。これは「せいとうぼうえい」だよ」

40 尹茅@ichi  [id : gsNHvfy/] [2015-08-04(火) 03:21:01] 削除依頼

 鈍い音が響く。
 砂の詰まった袋を叩くような、鈍くて重い、身体の芯まで響く音。そこに少女特有の高い声が混じり始めたのは、一体何時からなのだろうか。

「……ふふ、私は悪くない。私は悪くない。悪くない……。悪いのは、私を嗤った、みんな。ねえ、そうだよね?」

 再び響く鈍い音に混じって、微かに空気の抜ける音がする。吐息のような呻き声に混ざる言葉は、確かに結々を呼んでいた。

「結々、止めないよ、響くん。だって結々、悪くないもん」

 鼻歌を歌い出しそうなほどに軽快な声音。まだあどけない顔立ちを苦痛に歪めた響は、鈍い音が響くたびにびくびくと力無い指先を震わせた。

「ち、が……うっ! こ、んなこと、したかった、訳じゃ……」
「何が違うの、結々は痛かったよ?」

 またひとつ、鈍い音が響く。

「ゆ、ゆが、俺を、見てくれないから」

 毎日を教室の隅で過ごしていた結々。小心者の結々は初めから俯いて縮こまって、なるべく目立たないように、ひっそりとそこに居ただけなのに。
 それすら許さなかったクラスメイトたちは、そんな結々を引っ張り上げて嗤うのだ。

「結々が、……おれに、笑ってくれないから」

 響が結々に構いだしたのが、そもそもの始まりだった。いつもいつも、何かと結々を大声で呼びつけて、いやな眼で結々をじろりとねめまわす。
 その視線は結々のこころの内を蝕んで、少しずつ少しずつ、じわじわと暗く侵食した。

「結々は、楽しくもないのに笑わない、よ?」


 冷たく乾いた瞳の少女は、手に持つ石を振り下ろす。

41 尹茅@ichi  [id : Rj6V00i.] [2015-08-19(水) 03:14:29] 削除依頼

22/溶夏

「なあ、夏だぜ? 沙羅」
「何が言いたいの、じゅんぺー」

 じわじわと彼らを蝕む湿気を伴う熱気。生ぬるい風を送る扇風機の回る、ぶうんという音が響く。
 そんな教室内に、淳平の低く唸るような声が上がった。涼しげ、というよりも凍えるような冷たさを孕んだ沙羅の視線は、真夏の今でも健在である。

「愛がほしい! ひと夏の燃え上がるような熱い恋を、俺にも是非!」
「バレンタインにも同じこと言ってたけど」
「分かってねえな沙羅。バレンタインはどっちかっつーと純愛だろ、ピュアだろ、夏はもっとこう、なんつーの? 情熱的な熱い恋だよ! 火遊びだよ! そう、わんないとらぶ!」

 両手を硬く握りしめ、ひとりテンションを上げる淳平に、沙羅は深い溜息をひとつ。

「あんたそれ、意味も分からないで使わない方がいいわよ」

 思わず半目で彼を見やれば、きょとんとした顔で首を傾げた。
 それじゃあ、と腕を組んで考え込む淳平は、口さえ開かなければ普通の好青年に見える。開いた途端に残念発言の飛び出す口を、沙羅は何度閉じてしまおうと考えたか知れない。

「とりあえず、俺は遊びたいんだよ! 海! 水着! カワイイ女の子!」

 考えることを放棄した淳平の、欲望だだ漏れの言葉。
 沙羅が目の前にいるというのに、あまりにも失礼な台詞に。苛立ちを感じた沙羅は思わず、その口を手のひらで物理的に塞いでいた。

「ふが、むぐっ」
「うるさ、──っ!」

 呻く淳平のやわらかな唇と、その吐息が手のひらに触れる感触に。びきりと硬直した沙羅は、驚きで目を丸くする彼の頬を、勢いのままにぎゅっと押しつぶしていた。
 急激に上がった体温を誤魔化そうと、慌ててぶにぶに淳平の頬を弄る。我に返ってからようやく解放してやると、涙目になっていた淳平は乙女のように赤く染まった両頬に手を添えた。

「何だよ沙羅、痛えよ!」
「ご、ごめん……!」

 訝しげな淳平の視線に居たたまれず、無意識に目を逸らした沙羅。その態度に不満げに口を尖らせた淳平は、おもむろに腕を伸ばした。

「これであいこな」

 抓まれた片頬は、沙羅が淳平にしたそれより遥かに優しい力で、柔らかさを確かめるようにふにふにと揉まれる。一瞬にして頬を紅潮させた沙羅に満足したのか、淳平は立ち上がって大きく伸びをすると、首筋に伝う汗を拭った。

「やっぱ暑ちーな、川でも行こうぜ」

 言うなりさっさと鞄を手に取り歩き出す足取りは、沙羅がついてくることが当然、とでも言うように全く迷いがない。熱いままの頬に手を添えて、沙羅は普段の冷たい視線とは真逆の、涙で潤んだ瞳を以て淳平の後ろ姿を睨みつけた。

「……この、ド天然が」

42 尹茅@ichi  [id : afZeRTI0] [2015-09-22(火) 23:37:47] 削除依頼

23/潮風に乗せて。

 うみねこは夏が終わると南へ向かって飛んでいくのだと、彼は言った。

 太陽の光を受けて、銀にきらめく海面。
 海面に浮かぶ無数のうみねこの、白い胸が眩しい。あぶくのようにぷかりぷかりとたゆたう彼らは時折、思い出したように暗灰色の翼を震わせた。
 ぎしりと軋む、安っぽいベッドのスプリングに舌打ちする彼は不快さを隠そうともしないまま、あたしの首筋へ口を付ける。汗ばむ肌はぬるついて滑り、どろどろに融けてひとつの液体にでもなりそうだった。
 わき腹をすべる彼の手つきの慣れを感じながら、窓の外に見える海面がうねり、さざなみを立てて一斉に飛び立つうみねこを眺めていた。

「なに、考えてるの」

 不意に首筋にちくりと軽く刺すような痛みが走って、思わず眉を寄せる。すぐさま労るようにべろりと舐め上げられて、思わず背がのけぞった。
 パーマのかけられた、長い前髪の隙間からこちらを窺う彼の焦げ茶の目を見下ろし、腕を伸ばして日に焼けた逞しい身体の線をなぞる。サーファーと言うだけあって、彼の身体はひとつの彫像のように鍛えられていた。

「あなたと初めて、会ったときのこと」


 水を切るサーフボードからは、無数のあぶくと白波が立ち上がる。深い青と白のコントラストの中を自在に駆ける彼の姿は、いまでも瞼を閉じればくっきりと浮かんでくる。
 柄にもなく見惚れた。駆けた拍子に跳ねる飛沫に。白く尾をひくサーフボードに。ちかちかと反射する光にさえも。息を呑むほど感動した。濡れた髪を無造作にかきあげ、ゆったりとした足取りで砂浜を歩く彼から目が離せなくて、どうしようもないほどに惹きつけられた。

「今年は、いつまでいられるの」

 甘えるように頬をすり寄せる彼の、心地の良い体温を抱きしめて外を眺める。部屋にひとつしかないちいさな窓からはいつでも、海を見ることができた。

「あの人とは二日後に、ホテルで合流する予定よ」

 二日。呟いた彼は緩慢な動作であたしの左の手のひらを持ち上げて、薬指へ嵌まった銀の環をくるくる弄ぶ。彼には嵌まっていないそれは、あたしと彼とを永遠に隔てる、硬く冷たい楔のようにしか見えなかった。

「来年も来るわ。待っていてくれるのでしょう?」
「きみはやっぱり、うみねこのようだね」


 ずるいひとだ。そう言って儚い笑みを浮かべる彼に、あたしは淡く微笑んだ。

43 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:10:36] 削除依頼

24/gift.

 君が聞いてくれるから。
 
 僕の話に瞳を輝かせ、一生懸命に耳を傾ける君。
 くるくると瞬く間に変わってゆく君の表情は、君を見ている僕も同じような気持ちにさせるって、知っていた?
 君の魅せる表情は豊かで、鮮やかで。僕はそれに惹きつけられてしまう。最後には必ず、ああ楽しかった、って無邪気に笑う君が無性に愛おしくて。
 だから僕は言葉を紡ぐ。
 今日の君は、どんな顔をしてくれるのかな。

 青く澄み渡った空が広がる昼下がり。
 出窓から入る柔らかな日差しを浴びて、君はベッドの上で小さく微笑む。
「ねえ、今日は幸せなお話が聞きたいわ!」
 両手を合わせてはにかむ君のお願いを、僕が聞かないなんてことが、果たして一度でもあったであろうか。

「もちろん。じゃあ今日は、小さな女の子の、小さな恋の話をしようか──」

44 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:11:10] 削除依頼

 僕が物語を終えると、君は物語の世界を目一杯楽しむ為に閉じていた琥珀の瞳をぱちりと開いて、嬉しそうに笑んだ。
「やっぱり、貴方はすごいわ! お話を聞くだけで、こんなに幸せな気持ちになれるんだもの」
 そんな君を見て、僕も幸福な気分に浸る。少しだけ病弱な君だけど、今日は調子が良いようで、ベッドを降りて台所に立つと茶器の用意をし始めた。
「僕も手伝うよ」
「駄目よ、これは私なりのお礼なの」
「君の体調が心配だからね、側で見守らせてもらうくらいはいいだろう?」
 少し怒ったような表情から一転、頬を染めて俯くその白魚の様な手から素早く茶器を奪うと、手慣れたものでさっさとお茶を淹れてしまう。
 二人でお茶の準備をしたテーブルについて、お互い無言でカップを傾けた。

 君の部屋へ通うようになって半年。
 僕はこの、穏やかな時間をとても愛している。言葉は無いけれど、温かみのあるこの小さなログハウスには、家主である君の柔らかい空気が充満していて。
 こんないい天気には、出窓に置いてあるハーブたちが日を浴びて、嬉しげに葉を震わせる。
 ……ああ、でも。
 日が傾くと、僕はもう君の家を辞さなきゃならない。本当はもっとずっと一緒に居たいけれど、これ以上はきっと君の邪魔になってしまうだろう。
「そろそろお暇するよ。次はどんなお話がいい?」
 こう言うと、少しだけ哀しそうな顔を見せてくれるのが嬉しくて。すぐに笑顔の裏に隠してしまうその表情は僕の宝物だって、知らないでしょう?

 僕と一緒にいたいと思ってくれている。
 それだけでこんなにも心が震える。

45 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:11:46] 削除依頼

 いつものように部屋に入った僕はその瞬間、なにか嫌な予感がした。
 それに気づかない振りをして、君の側に座る。
「今日は、何の話がいい?」
「……今日はただ、側に居て欲しいの」
 ベッドに横たわる君は、僕にそう言って静かに微笑む。無理に明るく振る舞う僕を案じるようなその微笑みを見て、僕は確信した。
 君に感じた嫌な予感は、きっと、間違っていないのだ。
「……まだ、話足りないんだよ。君に聞かせたいことが、沢山沢山、あるんだ。まだ全然、話せていない」
「うん、まだ私も全然、聞き足りない。でもね、もう、ちょっとだけ……、疲れちゃった、かな」
 そう言って僕に笑いかける君の笑顔は確かに、徐々に輝きを失って来ていることには気づいていた。

 気づかない振りを、していた。気のせいだと。
 これはその、罰、なのかもしれない。
「ねえ。最後に一度だけ、私のつくったお話を、聞いてちょうだい?」

46 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:12:12] 削除依頼

*

 ある所に、一人の女が居ました。その女は身体が弱く、外出することが出来ませんでした。
 けれど女は、一人ではありませんでした。半年ほど前から決まった時間に訪ねて来てくれる、一人の男がいたからです。
 男は毎日、女の家へ通って来てくれました。遠慮する女を、僕が通いたいんだと笑顔で説き伏せて。そうしてお土産に、男は短い話をしてくれるようになりました。
 それは女が今まで聞いたことのないものでした。女は物語、というものを知らなかったのです。

 女はその男に、想いを寄せていました。けれどその想いを伝えはしないと固く誓っていました。
 何故なら女の貧弱な身体には、男と共に生きるための時間がとてもとてもとても、足りなかったのです。女は自分の限界を知っていました。男と添い遂げることは出来ないと、初めから理解していました。

 だから女は決して、男に想いを告げようとは思っていなかったのです。

47 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:13:01] 削除依頼

 冬が来て、女はいよいよ時間が無くなってきていることを悟りました。自分のこの身体は、この冬を越えることはできないだろうと。
 そこで、女は最後に、男に自分の創った話を聞いてもらおうと思い立ちました。男の様に上手に話すことは出来ないだろうけど、自分が今まで、どれだけ満たされていたのか。どれだけ幸せだったのか。ほんの少しでも、男に伝わればいいと思いました。

 男のおかげで女の世界は広がりました。
 男のおかげで女は温もりを知りました。
 男のおかげで女は心から笑うことができました。
 男のおかげで女は初めて、人を愛することを知りました。

 女には縁の無いと思っていた、愛おしいと思う気持ち。相手を心から想う気持ち。女はそれを知れただけでもう、悔いはありません。男に会えなくなることは辛いけれど、この気持ちだけで十分だと、そう思いました。
 だから女は自分が死んだとき、男に悲しんでほしくありませんでした。女は本当に、心から幸せだったのですから。

 女は最後にやっぱりひとつだけ、男に伝えたいことがありました。決して言わないと決めていたけれど、それでもどうしても言いたい言葉がひとつだけ、残っていたのです。

48 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:13:30] 削除依頼

 私が死んでも、泣かないで。
 どうか笑って。私の愛しいひと。

 貴方が笑ってくれることが、私の幸福です。
 貴方はいつも、笑って側にいてくれた。
 私はいつも、満たされていました。

 貴方は、私の一生の宝です。


 願わくば、貴方がずっとずっと、幸福でありますように。


「──貴方を生涯、愛しています」
 女は今までで一番、幸福な笑みを浮かべました。

49 尹茅@ichi  [id : dxDvMYr.] [2015-11-12(木) 12:14:13] 削除依頼

*

 満ち足りた顔で微笑む君はそっと、瞳を閉じた。
「──おやすみ。いい夢を」


 君は、幸福だったんだね

「……ねえ、僕も。君を愛してる」
 伝えることの出来なかった言葉が、想いが。
 君の頬に落ちる雫に、その全てを込めた。

50 尹茅@ichi  [id : I7dpseN.] [2015-11-16(月) 01:20:17] 削除依頼

25/愛して

「あなたの記憶に遺りたいの」

 あたしの口癖だった。
 彼のしなやかな筋肉の詰まった脹ら脛を撫でながら。彼の乱雑に乱れる髪へ赤いマニキュアを塗った指先をさし入れながら。彼の色のない唇を、おなじもので塞ぎながら。

 繰り返される文言に、彼は決まって、かたりと笑う。壊れてる。壊れてる壊れてる壊れてるお前は壊れてる。

 かたかた笑う彼の引きつる腹筋に、あたしは真っ赤に熟れた唇をつける。蛞蝓みたいな速度で這わせるそれにびくびく反応する腹に、あたしはある種の愛おしさを感じて涙ぐんだ。

 知ってる。知ってる知ってる知ってる知ってる知ってるけどあたしはこれしか方法を知らない。あたしは愛とは記憶だと教えられてだからあたしがあなたにありったけの愛を遺そうとしたらそうねそしたらねあたしはあなたの記憶に遺らなければならないでしょう。ねえそうでしょうそうと言って。

 彼はあたしに多くを語らない。彼はただ座ってあたしの声に耳をすましあたしの指先にため息をつきあたしの吐息にからだを震わせる。彼はそうやってあたしの愛を受け取ってきたしあたしはそうして彼を愛してる。愛してるはずだった。
 彼はあたしの胸に咲いた赤い花をねちっこく執拗に執拗に撫でた。それはまるでどこまでも赤くほどける花弁を永遠に広げてそれ自体であたしをくるくる包み込んでちいさく閉じこめてしまおうとしているかのようだった。
 彼が花弁を開くのにつれてあたしの指の先から始まって手が腕が足が太腿が、だんだん石のように冷たく重くこわばるのを感じた。

 ねえあたしはあなたの記憶に遺れたの。
 あたしの最後の問いに、彼は笑う。かたかたかた。

51 尹茅@ichi  [id : NCLYrwR/] [2015-12-31(木) 23:58:41] 削除依頼

>14 01/〜05/
>14 06/〜10/
>14 11/〜15/
>14 16/〜20/

>14-40 21/歪に歪む
ほんのささいなすれ違いが取り返しのつかないものになる瞬間。
ひとの歪んでしまう瞬間みたいなものが書きたくて。

>14 22/溶夏
彼らふたりは気に入っています。笑
純粋な想いはきらきらしてて素敵ですよね。

>14 23/潮風に乗せて。
季節短編に向けて書いたもの。
切ない大人の恋愛模様を描きました。

>14-49 24/gift.
もとは長編にしようとして書き始めたものです。
半端な長さになってしまったのでここに上げさせてもらいました。

>14 25/愛して
これは作家さんに影響された分かりやすい例ですね。笑
無力感とか、冷たく渇いた空気とか、そんなものが伝われば嬉しいです。

今年はありがとうございました。
来年もどうぞよろしくおつき合いください。

52 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 10:59:38] 削除依頼

26/今宵、参上。

 ──23時、東京。

『目標、都庁方面へ逃走中!』
『交通規制が機能していません! 至.急応援を!』
『目標を見に来た野次馬が押さえ切れません! ──限界です!』

 光の溢るる夜の街、今宵も彼女は現れる。

53 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 11:00:10] 削除依頼

「っとと、まったく、ケーサツも懲りないよねえ」

 甘いフリルに飾られた、赤いケープを翻し。リボンで結われたツインテールを靡かせて、ひとりの少女が空を駆ける。所狭しと乱立する高層ビルを足場に軽やかに空を舞う少女は、愛らしい顔立ちに不満の色を載せた。

「これが完全なる慈善事業だって、いったいいつになったら気づいてくれるのさ?」

 9月も終わり、初秋の頃。冷たさを含む風に長いツインテールを遊ばせ、紅水晶の嵌め込まれたワンドをくるりと回す。翼を畳んだ聖女を模したそれは、少女の白い手のひらの中で柔らかな光を灯した。

「ねえ? トカゲ」
[ボクはドラゴンだい!]

 そんな少女の肩の上でぽふぽふ跳び跳ねるのは、確かにトカゲとしか言いようのない小さな生き物。なめらかな紅い鱗に皮膜の張った一対の翼を見れば、確かにドラゴンと言えなくもないかもしれない。

「まあいいよ、魔法少女にフシギ生物がつくのはお約束だもん」
[オヤクソクっていうなー!]
「でも都庁の展望台って行ってみたかったんだよね、ラッキー!」

 かん高い声を張り上げて小さな翼を振り乱すトカゲをさっくり無視した少女の視線は目標を捉える。そびえ立つU字のビル、その下にひしめく野次馬に、何台ものパトカーの赤いランプが光るのを見てえくぼを浮かべた。

「ようっし、いっちょ行きますかっ!」

 何の気負いもなく空へとからだを躍らせて。重力を感じさせない優美な動きで、少女はU字をえがく都庁のビルの間へと降りたった。

54 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 11:00:36] 削除依頼

 ──都庁下、警察。


『目標を捕捉! 上です!』
『ヘリを廻せ! なにをグズグズしてる!』
『駄目です! 無線回路がやられました! 上空との通信不可! 上空との通信不可です!』
『都庁の警備人員は!』
『都庁内部は管轄外です! 連携が取り切れません!』
『グズグズするな! 警察の威信にかけて、今回こそ逃げられる訳には行かないんだ!』

 地上で蠢く彼らを歯牙にもかけず、今宵も彼女は夢を魅せる。

55 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 11:01:06] 削除依頼

「やあやあ、今晩はっ!」

 軽快に声を弾ませて。空を仰いだ少女にあちこちから極光が降り注ぐ。それらの強烈な光源は都庁周辺を飛び回るヘリのもので、機体にはさまざまなテレビ局のマークや警視庁の文字が描かれていた。

「おっけー、用意はいい?」

 風圧に短いスカートがはためき、長いツインテールが暴れる。テレビ局のマークが描かれた機体のうちのいくつかのドアが開き、そこからは重量級の機材を抱えるカメラマンが覗いた。

「すりー、つー、わーんっ!」

 3カウントで振り下ろされたワンドの紅水晶がぴかりと瞬いた、その瞬間。ばつ、と糸の千切れたような音を響かせて。
 都庁を周辺としたビル群の明かりが──全て、消えた。
 消えないのは、少女を照らすサーチライトの光のみ。光を浴びて自慢気に胸を反らす少女の姿を余すことなく捉えた野次馬の群衆は、警察の制止を振り切り歓声を上げた。

「魔法少女ロリポップ、ここにけんざーんっ!」

 歓声に応えるように声を張り上げた少女、ロリポップは満足げに微笑むとワンドをくるくると回した。
 ぴかりぴかりと光るワンドに呼応して。ぼふんと派手な音を立ててあちこちからピンクの煙が立ちのぼる。人々の頭上で起きたそれらはすぐにきらめく星屑となって散り、色とりどりの砂糖菓子と純白のハトが現われる。

「こんなに眩しくしてちゃ、いつまでたってもあたしを見つけられないよ?」

小首をかしげる仕草はどこまでも愛らしい。一様に歯噛みする警官の群れを高みから見下ろす少女は、にっこり笑うと一際大きな爆発を起こした。

56 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 11:01:35] 削除依頼


『目標が逃走を開始しました!』
『追え! 煙なんかに惑わされるな!』
『まだヘリとの連絡が取れません! 上空からの追跡は不可能です!』
『群衆で思うように隊列が組めません! 無線も混乱しています!』
『警察の意地はどうした! たかが小娘一匹、捕まえてみせろ!』

 都庁に大きな混乱を残し、今宵も少女は姿を隠す。

57 尹茅@ichi  [id : 81idKx60] [2016-01-20(水) 11:02:11] 削除依頼

「全く、魔法少女が聞いて呆れる仕事の地味さだよねえ」
[ダイジなことじゃないか!]

 屋上から屋上へと駆けながら口を尖らせる少女に、トカゲはキンとした声を張り上げる。

[セツデンもナンパのボクメツも、チアンイジにやくだってる!]
「だーっ! 地味! だって魔法少女だよ!? 魔法使えるんだよ!? なのに何が楽しくて節電呼びかけたりナンパ野郎を諭したりしなきゃならないの!」
[……イマドキあくのそしきなんて、いるとオモッてるの]
「あんたなに自分の存在さっくり無視してんのよ、このフシギ生物!」

 トカゲの長い首を掴んだ少女はその手のひらをぶんぶん上下に振る。 声も上がらぬトカゲが目を回したのを確認して、少しだけ溜飲を下げた。

「せちがらい世の中だよねえ、魔法少女のお仕事が治安維持に環境改善だなんて」

 魔法少女。それだけ聞いたら少女だって喜んでその力を奮うだろう、その相手がいれば。現代の社会はよくも悪くも管理の眼が行き届き、この世界のもの以外が侵入することを極端に困難にしていた。
結果。魔法の力が与えられたとしても、戦うべき相手がいない。おかげで警察には神出鬼没の愉快犯としてしっかりマークされているのであった。

「……辞めようかなあ」

 ボソッと呟かれたその言葉に、トカゲは文字通り飛び上がった。言葉もなくぶるぶる震える姿に少女は苦笑する。

「仕方ないなあ。トカゲが頑張るなら、あたしもつきあってあげる」

 灯りの落ちる夜の街。
 今宵も少女はどこかへ現れる──かもしれない。

58 尹茅@ichi  [id : b22jtAR.] [2016-01-24(日) 16:44:46] 削除依頼

27/ベンチ

 ふたりで小さな公園のベンチに腰掛けて、ほかほか湯気をあげる白いかたまりを、ていねいに半分に割り開いた。

「はい、織!」

 んっ、と右手を差し出せば、織は意外そうな顔をして私を見る。

「半分こ」

 見上げる織のアーモンド型の瞳が僅かに細められて、次いでふっと右手に持ったあんまんが消えた。

「ほら」

 ぽん、と代わりに温いものが乗せられて、思わずそっちに視線が行く。まだ湯気を上げるそれは、あんまんと同じくらいほかほかとした湯気をあげる肉まんだった。
 いつも部活で忙しい織がこうして寄り道してくれることなんて滅多になくて、それが嬉しくてにまにまと笑みが浮かぶ。織はそんな私を訝しそうに見て、そうして肉まんとあんまんでふさがった自分の手元を見て、納得したようにひとつ頷いた。

「ち、違うよ!? 肉まんじゃなくて、美桜は織と寄り道してるのが嬉しいんだよ!?」

 焦って言い訳しても、すでに肉まんにかぶりついている織は普通に聞き流してしまう。その横顔もかっこよくて、やっぱり織はずるい。

「織、好き」

 マフラーにうずまりながら呟いた言葉は織には届かなかったらしい。白く染まった息だけがふわふわと溶けた。そんな私の隣で黙々と食べ進める織はふと私の方を見て、首を傾ける。

「食わねえの、美桜」

 不意に呼ばれる名前がくすぐったくて、ちょっとだけ首をすくめる。呼ばれるたびに嬉しくてはしゃぐ私に呆れてあんまり呼んでくれなくなったけど、こうしてふとした拍子に呼んでくれる織の耳ざわりのいい低い声は大好きだ。

「たっ、食べる!」
 
 すでに食べ終えた織に慌ててふかふかの肉まんを頬張れば、なにを思ったか織はどさりと私に寄りかかってきた。

「し、織?」

 基本的にいつも冷たい織が私に甘えるなんて、それこそ今まで一度あったかどうかだ。動揺する私に寄りかかったまま、織はそっぽを向いて口を閉ざす。
 無言のままぐいぐいと体重をかけられて、織の体温がじんわりと伝わってくるのを感じた。

「……織、大好き」
「知ってる」

 嬉しくて嬉しくて、いつもの通りそう言えば、織もいつもの通りそう返した。いつもとは違って柔らかくほどけた織の目元に、私は気づかなかったフリをした。

59 尹茅@ichi  [id : sFla25T0] [2016-02-08(月) 01:48:02] 削除依頼

28/君の傍に。

 なにものにも染まらぬ、なにものにも従わぬ、この世のものとも思えぬ美しいドラゴンは、確かに存在していた。

 つるりと透き通るみがきぬかれた白磁の竜鱗に、からだの半分もある大きな両翼の皮膜は、ミルクを溶かしたようになめらかな乳白色をしていた。燃える太陽を思わせる黄金色をした双眼は、深い知性と慈しみを湛えてゆったりまたたく。

 優美な曲線をえがく鎌首をもたげ、彼は走り寄る小さな人間を迎え入れた。

「覇陽!」

 催促するように伸ばされた短い両腕に、彼は潰さぬようにそっと頭を落としてやる。彼の両前足の間に駆け込んできた人間は、巨大な鼻先をぎゅっと抱きしめて、嬉しげに頬ずりした。

「覇陽、覇陽……」

 うわごとのように彼に付けられた名を繰り返す人間は、彼のなめらかな竜鱗の曇りに、黄金にきらめく瞳に差した濁りに、とっくに気がついていたのだろう。心底安堵したように震える吐息をもらす人間を見おろす彼の双眼にかつての輝きは既になく、ぼんやりとした微かな光が灯るだけだった。

「きみは、きみだけはどうか、少しでも永く……」


 少しばかり発展の進みすぎたこの世界は、どうやら彼には根本的に合わなかったらしい。自慢の竜鱗は工場から排出されるガスで煤に染まり、水銀の溶けだした川の水で、彼の瞳は白く濁った。思い出したように降り注ぐ酸性雨は、彼のビロードのような皮膜に容赦なく打ち付けて溶かし、不格好な斑模様をいくつもつくっていた。

 徐々に狭まる視界に、じわじわとからだを蝕まれる苦痛。それでも彼はこの地を離れようとはしなかった。それは、彼をこの地に留めるに足る理由があったからに他ならない。

「ごめん、ごめんね、覇陽」

 ごしごしと彼の胸元を拭う人間は、それでは染みついた鱗の曇りが晴れないということを、いやと言うほど知っている。
 それでもなお行為を止めようとしない人間を、彼は低く喉を鳴らして制止した。灰銀の睫毛に縁取られた瞳を伏せ、ぐいと鼻先を押しつける。


「きみは優しすぎるよ」

 泣き出しそうに呟く人間の頬に滴が伝っているのかどうか、彼にはもう、確かめる術はない。長い首を地面に横たえてからだを丸めると、人間は焦ったように彼の目元へ回り込んで、くすんだ彼の竜鱗に手を添えた。

「覇陽、眠いの? 覇陽?」

 人間の必死の呼びかけも、かつてのように鮮明には聞こえない。薄く開いた瞳には、人間のぼんやりとした輪郭しか見ることは叶わなかった。
 それでも。人間の手のひらから伝わる小さなぬくもりに、彼は心から安堵する。

 永い年月を生きてきた最後のドラゴンは、そうしてゆっくり瞼を閉じた。

60 尹茅@ichi  [id : WLipcuX.] [2016-02-13(土) 10:50:22] 削除依頼

29/時蛹

「こんにちは、おにーさん!」

 ぱたぱた駆けてくる足音は、いたるところに死のにおいが充満するここには場違いなほど、明るくて軽快だった。途中にすれ違った看護師に注意され、慌てて早足に直すその仕草から垣間見える、純粋な素直さが微笑ましかった。
 検診は終わったの? そう尋ねれば、つきたてのお餅のように白い頬をぷくっと膨らませてむくれてみせた。

「わたし、こどもじゃないもの。逃げたりしないわ」

 偉いでしょう、と胸を張るその仕草はまさに子供らしかった。

 同じ日はもう二度と巡ってこないのだと舌足らずに言ったきみが懐かしくて、眼にうつるすべてのものが滲んだ世界できみを探した。 何よりも誰よりもひたむきに懸命に生きてきたきみの時間の密度は、ただひたすらに愛おしかった。

「ね、ね、お花を摘みにいかない?」

 簡素な患者服の裾をくるんとひるがえしたきみは、花の綻ぶような愛らしい笑みをうかべた。

「外を見てごらん」
「そと?」

 すぐに窓までかけよって、ひょっこりと顔を外へ覗かせる。そんな背中を見ていると、華奢なそれは分かりやすく肩を落として振り返った。

「ねえ、この白いのは何? お花どころか原っぱもみえないわ」

 眉を下げた困り顔の表情に、涙が滲みそうになるのを慌ててこらえる。

「雪、だよ。つめたいんだ」
「ゆき」

 まんまるの瞳をさらにまんまるにして繰り返したきみは、興味深そうにもう一度、窓ガラスにぺたりと額をつけた。
 そうして顔を離したきみの、忙しなく動く茶色の瞳が、不意にこちらを向いた。ぱちぱち瞬くまるい瞳には、確かに真実が映っているはずなのに。

「……春になったら、花。摘みに行こうか」
「うん! 約束、おにーさん!」

 一瞬だけ、きょとんとした顔をして。それからすぐにきらめく笑顔をうかべたきみは、細い小指を差し出した。

「ゆーびきーりげんまん、うそついたら……」

 行動の端々ににじむ仕草や口調は、まだ幼い童子のもの。それでもきみの身体は、きみの精神を置きざりにして成長していた。今年、十八になるきみはまだ、お伽噺を信じるあのころからなんの変わりもない。

 両親にひとり、置き去りにされたあの瞬間から、ずっと。

 本当は雪なんて、積もっていないのに。
 本当は春なんて、いくつも過ぎ去っているのに。
 
「ねえ」

 呼びかけると、なんの邪気もない顔で首を傾げるきみの姿に、いったい幾度傷つけばいいのだろう。変わっていないことが分かっているのに、それでも毎日、窓の外を見るように告げる行為だって、自分を傷つける以外のなにものでもない。

「……おにーさん、前にも会ったことあるよね?」

 それでも。
 それでもこうして、きみは時折、わずかな希望を見せてくれるから。僅かでも、ここで過ごした日々の記憶が残っているという、希望が。
 だから、どうしても諦めきれない。

「僕はきみのともだちだからね、奈々香」

 幼いころ、患者服の裾を引きずって交わした小さな約束は、もう僕の中にしか、残っていない。

61 尹茅@ichi  [id : tfgSNEY.] [2016-04-06(水) 22:33:44] 削除依頼

30/思春期

 ねえ、あたし、おかしいのかもしれない。

 田崎がそう言ってきたのは、私がちょうど、歩道橋の真ん中のところに来たときだった。
 どうおかしいの。そう尋ねたら、田崎はちょっと首をひねってびゅんびゅん流れる車の列を見下ろして、まるでそのまま飛び降りてしまいそうに見えた。
 でも田崎は飛び降りるなんてばかなことはしないで、あたしね、と内緒話をするように声をひそめた。
 歩道橋の端っこにいる田崎と真ん中にいる私とでは距離がありすぎて、田崎のひそめた声はなんにも聞こえなかった。聞こえなかったはずなのに、私には、確かに、田崎の抑揚のない声がはっきりと聴こえた。

 あたし、こうして歩道橋から下を見てるとね、あたしの家族がここから落ちて車に轢かれないかなあって思うの。おかしいよね。

 田崎の髪がはらりと揺れた。いつもはピンで留めている、長い前髪が、風に煽られて乱れている。田崎の眼は流れていく車を見下ろして、その隙間に目をこらして、まるで轢かれた家族の欠片を探しているようだった。
 私は田崎が本当にそう言ったのかは分からないけど、そうやって歩道橋に佇む田崎は、なにより自分が一番、車に轢かれたがっているような顔をしていた。

 ねえ、田崎。私にはよく分からないけどさ。いつまでたっても端っこから動かない田崎を迎えに行くと、田崎はそのとき初めて私がいることに気が付いたかのように、いつもは眠たそうに垂れている目をまん丸くして私を見た。
 大きく開いた田崎の眼にちかりと光が反射して、ぱちぱちまばたきする様子がなんだか夢から覚めたこどものようだった。

 お腹空いたしさ、とりあえず帰ろうよ。

 あたしの話、聞いてた? 
 困ったように言う田崎の腕を取って、私は歩道橋をかけおりる。

62 尹茅@ichi  [id : tfgSNEY.] [2016-04-06(水) 22:34:07] 削除依頼

30/思春期

 ねえ、あたし、おかしいのかもしれない。

 田崎がそう言ってきたのは、私がちょうど、歩道橋の真ん中のところに来たときだった。
 どうおかしいの。そう尋ねたら、田崎はちょっと首をひねってびゅんびゅん流れる車の列を見下ろして、まるでそのまま飛び降りてしまいそうに見えた。
 でも田崎は飛び降りるなんてばかなことはしないで、あたしね、と内緒話をするように声をひそめた。
 歩道橋の端っこにいる田崎と真ん中にいる私とでは距離がありすぎて、田崎のひそめた声はなんにも聞こえなかった。聞こえなかったはずなのに、私には、確かに、田崎の抑揚のない声がはっきりと聴こえた。

 あたし、こうして歩道橋から下を見てるとね、あたしの家族がここから落ちて車に轢かれないかなあって思うの。おかしいよね。

 田崎の髪がはらりと揺れた。いつもはピンで留めている、長い前髪が、風に煽られて乱れている。田崎の眼は流れていく車を見下ろして、その隙間に目をこらして、まるで轢かれた家族の欠片を探しているようだった。
 私は田崎が本当にそう言ったのかは分からないけど、そうやって歩道橋に佇む田崎は、なにより自分が一番、車に轢かれたがっているような顔をしていた。

 ねえ、田崎。私にはよく分からないけどさ。いつまでたっても端っこから動かない田崎を迎えに行くと、田崎はそのとき初めて私がいることに気が付いたかのように、いつもは眠たそうに垂れている目をまん丸くして私を見た。
 大きく開いた田崎の眼にちかりと光が反射して、ぱちぱちまばたきする様子がなんだか夢から覚めたこどものようだった。

 お腹空いたしさ、とりあえず帰ろうよ。

 あたしの話、聞いてた? 
 困ったように言う田崎の腕を取って、私は歩道橋をかけおりる。

63 尹茅@ichi  [id : 1Z3CZt.1] [2016-05-01(日) 19:58:59] 削除依頼

>14 01/〜05/
>14 06/〜10/
>14 11/〜15/
>14 16/〜20/
>14 21/〜25/

>14-57 26/今宵、参上。
ファンタジーの企画で書かせていただいたもの。
ファンタジーなのに現代寄りになってしまって不完全燃焼に。笑

>14 27/ベンチ
織がツンデレでしかなかった……。
そしてそれに毎回全力で振り回される美桜はアホな子ほどかわいいってやつです。

>14 28/君の傍に
これも企画で書かせていただいたもの。
思いっきりファンタジーファンタジーできて大満足です。龍大好き。

>14 29/時蛹
描写不足でもやっとしたかんじになっちゃいましたね。
少ない言葉で伝えるのって難しいなあ。

>14 30/思春期
田崎はわたしでもあり、あなたでもあります。
不安定なこころは脆くて儚くて、なんとも言えない心地がします。

64 尹茅@ichi  [id : nA0172u/] [2016-06-17(金) 22:03:30] 削除依頼

31/スイゲツ

 ふと見上げた冬の空は、驚くほど透明に澄んでいた。
 はあ、と息を吐けば、それは一瞬のうちに白い水蒸気となって、澄んだ空へとのぼっていった。

 もっと空に近づきたくて、二匹の雪狼が引く木彫りのそりから少しだけ、身を乗り出した。

「ユソン、危ない」

 くん、と裾を引かれた勢いのまま、ぼふんと後ろに倒れ込む。あっと思う間もなく厚い毛皮のコートに抱き留められた。倒れ込んだユノンの腕の中で見上げれば、同じコートをまとったユノンが不機嫌に目を細めている。
 風になびいた灰銀の短い髪のすきまから、雪のように白い耳朶がのぞく。

「ユソン?」

 首を傾げるとさらさらこぼれるユノンの髪は、銀粉をまぶしたようにきらきらと光った。

「なんでもないよ。ユノンは心配しすぎ」

 わたしとそっくり同じ容貌をしたユノンは、納得いかないように眉をよせて、それからまた、ぎゅっとわたしを抱きしめた。ユソンの細い指先が、窺うようにそっとわたしの頬に添えられる。抵抗せずに目を閉じれば、すぐに柔らかなくちづけが落ちてきた。

「ユソン、すき。すきだよ。ぼくだけの、ユソン」

 吐息の合間に囁かれる甘い言葉と、幾度となく降ってくる冷たい唇に、わたしは黙って身を任せた。

65 尹茅@ichi  [id : nA0172u/] [2016-06-17(金) 22:04:59] 削除依頼

 わたしたちは間違えている。
 でも、そんなことは分かってるのに。

「ユソン。……後悔、してる?」

 不意にやんだくちづけと頼りなげに揺れる声音に、わたしは閉じた目蓋を押し上げる。間近にあるユノンの瞳の中に、少しだけ頬を染めたわたしだけが映っているのを見て、昏い独占欲が満たされた。

「なに言ってるの。わたしには、ユノンだけがいればいい。……わたしの、たったひとりのだいじな片割れ」
 さっきのユノンと同じように頬に手を添えれば、ユノンは長い睫毛を震わせて瞳を伏せ、頬をじわりと朱に染めた。


 わたしたちは逃げ出した。
 ふたりきり、手を取り合って。
 これから先、いつまで逃げればいいのかなんて分からない。一生、見えない影に怯えて暮らさなくてはいけないかもしれない。それでもわたしとユノンはこの道を選んだし、後悔するかもしれないけれど、やり直せるとしても、きっと何度だって同じ道を選ぶだろう。 
 
 一面の雪景色に、わたしとユノンはふたりきり。わたしたちが乗る、雪狼の引くそりの跡だけがくっきり残る丘を振り返って、わたしはまた、空に向かって息を吐く。
 白く染まる吐息は、ゆらりと融けた。

66 尹茅  [id : EzM9pkGK] [2016-12-05(月) 14:08:23] 削除依頼

32/てのひら

 高い天井から吊り下がる巨大なシャンデリアに革張りのソファ、その正面には六十五インチの巨大なテレビがあり、床には上質な繊維を使った柔らかな絨毯が敷き詰められている。だだっ広い部屋をこれでもかと飾り立てるそれらに囲まれて優雅にソファに身体を沈める女と、女の目の前に立ちふさがる男とは、かつて恋人という間柄にあった。

「いい加減にしろよ」

 洗濯のしすぎで伸びかけたTシャツに、一目で安物と分かるクリーム色のチノパンを穿いた男の声は、ずしりと腹に響く音をしていた。ぼさぼさに伸びた黒髪の隙間からのぞく眼光は冷え冷えとしていて、女を心底嫌悪していることが嫌でも感じられる。

「彼の家にまで来て、一体今更あたしに何の用かしら」

 真っ赤なルージュの引かれた唇の隙間から、真珠の粒のような歯が零れる。ぴったりとした黒のマーメイドラインのワンピースには深いスリットが入っていて、そこから伸びるしなやかな脚の白さが際立っていた。

「結婚するだけなのに、あなたに何を責められることがあるの」

 小馬鹿にするように鼻を鳴らした女に、男は無言で拳を握りこむ。深爪になるほど短く切り揃えられた爪は、どれだけ力を込めても商売道具とも言える男の手を傷つけることはない。視線を男の手へ向けた女は、拳に込められた力の強さにゆっくりと口角を釣り上げると、爪を長く伸ばし、赤いマニキュアを塗った両手で男の握りこまれた拳を包み込んだ。

「駄目じゃない、手に傷をつけたら。仕事が出来なくなってしまうわ」

 歌うように言いながら、何の反応も示さない男の節くれだった太い指を一本一本、指を絡ませて丁寧に開いていく。開かれた男の指先は、長年顔料に触れてきたせいで色が染みついて黒ずんでいた。油の匂いすら立ちのぼるかのような男の乾いた指先を、打って変わってしっとりとなめらかな女の指が伝っていく。女のほっそりとした手首に巻かれたブレスレットがしゃらりと鳴り、男は身を震わせた。

「放せ。お前みたいな女が、結婚なんてできるわけがない」

 厚く硬い皮膚で覆われた男の手のひらを放り出すようにして手放した女は手をかざし、左の薬指に嵌まる華奢なデザインの銀のリングをわざとらしく回して見せた。

「できるわ。あなたみたいに一生を油臭い部屋でキャンバスと向き合って暮らすようなつまらない人生、死んでもごめんよ」

 力強く言い切った女の切れ長の瞳に一瞬、昏い光が浮かぶ。女の薬指に気を取られていた男はそれに気が付くこともなく、未だソファに座ったままの女を見下ろし、はっきりと笑みを浮かべた。

「お前には一生かかってもあの愉しみを理解できないだろう。可哀相に」

 分かりやすい嘲笑に、女の頬が朱に染まる。何かを言いかけて口を開いた女は、結局何も言うことはなく口を閉じた。

「……結婚するっていうなら、もう何も言わない。その代わり、今後一切俺に関わるな」
「いいわ。どうせまた、お金でも貰いに行くと思ってるんでしょう。最後に言うことのひとつくらいは聞いてあげる」

 男の言葉を反芻するように視線を床へ落とした女から既に頬の赤みは抜け、もとの陶磁器のようななめらかな白さがワンピースの黒に映えた。再び目線を合わせた女は男の要求を肯きひとつで了承すると、畳み掛けるように声を上げる。

「だから、あなたももうこれ以上、あたしに関わらないで」

 驚いて言葉を無くす、初めに来たときから一歩も目の前を動かなかった男をまっすぐに見上げ、女は艶然と微笑んだ。

「さよなら」


 男の足音が途絶え、広い部屋にオートロックのドアが閉まる機械的な音が響いた。再びゆっくりとソファに身体を沈めた女の、肘掛けに投げ出された腕は力無くだらりと垂れていた。弛緩した指先には傷ひとつなく、まさに白魚のような手と表現するに相応しい。薬指に収まるリングの台座に置かれた一粒のダイアモンドが、光を反射してちかりと光った。

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