藍の唐衣

小説投稿投稿掲示板より。


1    真理  [id : Ml3LLAt.] [2016-11-21(月) 20:53:17] 削除依頼

 紺色に染まった空の中、騒々しく鳴く雁が西の方に飛んで行った。
 そんな中、贅を凝らした庭の一角に、ぐったりした様子で座り込んでいる。
 それは、皇子付きの近習の、仙であった。
 仙は随分と疲れていた。
 日が暮れるまでに仕事を全て終わらせるように、と言われていたのだが、その仕事の量というのが半端な量ではない。
「あぁ、もう嫌だぁ……」
 頭を抱えて、仙は呟く。
 こんなことで、嫌になっているようでは駄目だと、分かっている。、今日はまだ、近習になって一日目なのだ。これから何日も、これが続く。
 しかし、と仙は思った。
 近習とは、主君の側に仕えるものである。主君が出掛けるのなら、付いて行くし、主君の警護に当たるのも近習の仕事なのだから、近習とは主君の元を離れないものなのだ。
 なのに、仙は皇子の雑用を、皇子と離れてやらされてきる。皇子は、近習の使い方を間違えているのではないかと、仙は思うのだった。
 そんなことを思っても、明日からの仕事が少なくなることなどありえなくて、仙は大きな溜め息をついた。
 皇子が、宮の中から顔を出して、早く戻ってこい、と言った。
 空は闇に包まれた。

2 真理  [id : Ml3LLAt.] [2016-11-21(月) 21:05:18] 削除依頼

* * *
 元はと言えば、仙はある中学校に通う、平凡な女子中学生であった。しかし、原因不明で、こちらの世界にやって来たのだ。彼女の謎の異世界移動に関しては、それ以外言うことがない。なので、彼女は女子中学生であった、皇子付きの近習なのだ。

 錐乃国、と言うのがこの国の名だ。仙が仕える皇子はこの国の皇太子である。
 仙は、はじめから、皇子付きの近習だったわけではない。
 最初に、いきなり異世界に放り出された仙を拾ったのは、皇子の異母姉弟の色羽姫だったーー

3 真理  [id : Ml3LLAt.] [2016-11-21(月) 21:27:52] 削除依頼

「では、あなたはこことは別の世界から来たと。」
 色羽姫は、事情を話し終えた仙に向かってそういった。
「はぁ、まぁ、そう言うことでしょうねぇ。」
 仙が、どうにも気が抜けた調子で言う。
「いいでしょう。あなたを、ここに置いて差し上げますわ。」
 色羽姫は、穏やかに言った。
「ありがとうございます。」
 色羽姫は、いい人と言えばいい人であるのだが、どうにも人を信じすぎる人だ、と言う印象を受けた。
「そう言えば、名はなんと申すのです?」
 そう聞かれて、仙は自分が名乗っていないことに気付いた。
 実は、その時まで仙は“仙”と言う名では無かったのだ。色羽姫には名乗っていなかったし、それ以外の人とは関わらなかったのだから、当たり前と言えば当たり前のことだった。
 仙の本来の名は、南月、と言った。“臼井南月”だ。
 しかし、南月はその名を名乗らなかった。
 少しの沈黙の後、南月は答えた。
「せん……仙です。」
 その時何故、南月と言わなかったのか、それは今でも不思議に思っているのだが、結局、よく分からなかった。
 それで、この世界での南月の名は「仙」になったのだ。

 仙と言う名で、南月は数ヵ月ほど色羽姫の元で暮らした。
 時に、学校や友人を思い出して寂しく思ったが、毎日それなりに忙しく、そんなことは忘れてしまった。
 そんな中、仙が色羽姫の異母姉弟の不氷人皇子に出会ったのは、陽射しの柔らかい、春の日であった。

4 真理  [id : VrDn4N5.] [2016-11-22(火) 01:43:58] 削除依頼

 不氷人皇子は気まぐれな人だった。
「姉上、この者は、信頼に足るか。」
 その日、色羽姫のもとにやってきた不氷人皇子はそう言った。
 いきなり、何を言い出すのかと、色羽姫のみならず、隣で控えていた仙までが驚いて不氷人皇子を見上げた。
「ええ、とてもよくやってくれていますわ。気も利きますし。」
 おずおずと、色羽姫が答える。
「そうですか。ならば――」
「ならば?」
 皇子の口から飛び出した次の言葉に、異世界から飛ばされて来た仙でも面食らってしまうものだった。
「その娘、私の近習にくれないでしょうか。」
「はい……?」
 唖然として口が閉じられなくなった二人を前に、皇子は少し苛立たしけにですから、と言う。
「私の近習に、その娘をください。」
 掠れた声で、色羽姫が、少し待ちなさい、と言う。
「近習とは、男の方がされるものでしょう?仙は、女性ですわ。例え、あなたの近習となったとしても、色々と困るでしょう?」
「問題ありません。」
「そんな……」
 淡々と語る皇子を、仙は青冷めた顔で見ていた。自分が、皇子の近習?ありえない。皇子も皇子で、仙の事情を知っているからと言って、姉が信頼に足る者だといったからと言って、こうも簡単に近習を決めていいのだろうか。いうなれば、近習とは一種の家臣であり、召使いであり、世話役であるのだ。場合によってはこれからずっと、側仕えとして生きていくという可能性だってある。そんな大事な者を、今のように適当に選ぶのは、如何なものか。
 そもそも、だれも仙の意見など聞いていない。仙は、皇子よりも色羽姫の元に居たかった。皇子付きの近習になることは、避けなければならない。
「お、恐れながら申し上げます。」
 震える声で、やけくそになって仙は口論する二人に声を上げた。
「なんだ、近習。」
 皇子が、あたりまえのように言う。
「わたくしが、近習にならなければなりませぬか。」
 問いかけると、あっさりと皇子は肯定した。
「ああ。仙、と言ったな。今日から私の近習だ。これから名乗る時は皇子付きの近習と名乗るのだな。」
「不氷人。」
 色羽姫が止めるが、もう、皇子は聞かなかった。
「仙、早いうちに荷物をまとめて私の宮へ、今日中に来なさい。急いで役人服を仕立てさせるから。」
「はあ……」
 仙が呆然としながら答えているのなど全く気にせず、失礼した、と小さく会釈して、出て行ってしまった。
 色羽姫は、困ったように皇子が去っていった方を見ていた。
「色羽さま。」
 仙は、色羽姫に向きなおると、正座をして、深く頭を下げた。
「今まで、何から何までお世話になりました。」
 驚いたように、色羽姫は仙を見る。
「仙、あなた、何を……?」
「何って色羽さま。わたくし、不氷人さまの近習になるのですよ。ですから、今までお世話になりました。」
「……そう、よね。あなた……仙、あなた、あの子の近習になるのよね。」
「はい。」
「……荷物を、まとめましょうか。」
 あそこまで言われて、近習になれないなど言ってはいられない。
 仙は、不氷人皇子付きの近習になるのだ。

5 真理  [id : VrDn4N5.] [2016-11-22(火) 17:26:36] 削除依頼

* * *
 ここまでが、昨日の話であった。
 皇子は、仙を宮の中に招き入れると悪戯っぽく笑って、こう言った。
「仙、出掛けるぞ。」
 その笑いに、仙が少しの恐ろしさを感じていられたのも束の間で、引きずられる様に連れて行かれた。
「どこへ行くのですか!」
 悲鳴じみた声で仙が問い掛けると、皇子はそれには答えず、そう言えば、と引きずっている近習を仰ぎ見る。
「お前、着替えてきなさい。それではあまりに汚すぎる。」
 汚くしたのは、あなたでしょうが。 仙は喉まで出かかった言葉を呑み込み、短く答える。
「すぐ参ります。」
 来た道を戻って行く仙を、皇子はじっと見つめていた。

6 真理  [id : VrDn4N5.] [2016-11-22(火) 17:43:37] 削除依頼

 仙が、今日から近習として身に付けている服は、色羽姫の元にいた時の、単ではなく、男の下級役人の着る、質素な直垂だった。
 それでも、仙のその面立ちは女そのものなので、今日の仕事をこなすうちに、宮廷内で、皇子の女近習として変に有名になってしまった。
 さて、着替えるのは良いのだが、どんな服を着れば良いのだろうか。
 近習なのだから、官服か。
 それとも、女として出てこいと言うことだったのか。だったら、単の方が良いだろう。色羽姫に貰った衣が何枚かあるし、それも良かろう。
 しかし。
 結局、仙は官服を着ることにした。何にしろ、皇子に近習としてついて行くのだ。そんな場での無難さで、官服に勝るものはないだろう。
 それに、実を言うと仙は自分ひとりで単を着ることが出来ない。何しろ、もともとはただの中学生で、制服しか着ていなかったのだから、着物など、一人で着れるはずもない。その点でも、官服ならばなんとか形になったし、微妙な色使いから来る季節感の美などと言うのも気にしなくていい。
 それで、木綿のあまり着心地の良くない、白い直垂を着て、仙は再び皇子の宮に向かった。

7 真理  [id : VrDn4N5.] [2016-11-22(火) 20:17:36] 削除依頼

「出掛けるぞ。」
「はぁ。どこへ行くのです?」
 仙が、間の抜けた返事をすると、皇子は、もう少しましな言い方が出来んのか、と呆れたように言った。
「全く……琴塁の尊師に今晩の宴に招かれているのだ。吉期尊師は私のご機嫌とりが好きだからな。まあ、言えばなんでもやってくれそうだから、わざわざ関係を悪くする必要はあるまい。」
 などと言われても、仙にはちんぷんかんぷんなことである。でも、きっとこれは不氷人皇子が次期国王であることに関係しているのだろうと言うことは、政に疎い仙でも分かった。
「そうですか。」
 分かったふりをして静かに答えた仙に、あ、と皇子が声を上げた。
「仙、お前、官服で来たのか。」
「ええ。」
 何か問題でも? と尋ねた仙に、皇子は何も言わなかった。
「ほら、さっさと車に乗れ。」
 牛車と言うのは、恐ろしくとろいことを、仙はこの時はじめて知る。

8 真理  [id : VrDn4N5.] [2016-11-22(火) 20:31:37] 削除依頼

「あのぅ……不氷人さま?」
 仙は、ついさっきまで話していた皇子が全く話さなくなったことに驚いて、恐る恐る声をかけた。
「不氷人さま、どうかされましたか?」
 応答は、ない。
 どうやら皇子は、狭い牛車の中、いきなり居眠りをし始めたようだった。
「全く……」
 それにしても、狭い。一人乗りの牛車に二人で乗ろうとするのが問題なのだ。近習にはもったいないと、こうされた。話し相手がいなくなると、この狭さは辛い。
「起きてくださいよぉ、不氷人さま……」
 一日の仕事の疲れに加えて、狭さからくる体勢の辛さから、仙はそれ以上何かを言う気が起きなかった。

9 真理  [id : WjWTxiz0] [2016-11-23(水) 11:38:56] 削除依頼

 ざっと一時間半は経ったのではないか。
 仙は、牛車に揺られながら思った。
「不氷人さま、まだつかないのですか?」
「ああ、まだだな。」
 ついさっき、眠りから覚めた不氷人皇子は、そっけなく答えた。
「わたくしもう、腰は痛いし、足も痛いし、とても辛いのですが。」
 皇子は、そんな仙に、そうか、と興味無さげに答えた。
 それより、と皇子は言う。
「お前、吉期の前ではきちんとした礼儀作法に則って行動しろよ。あいつに、お前が得体の知れない奴だとばれたら厄介だ。」
「わたくし、いつもそうしているでしょう?」
「いいや。」
 きっぱりと言い切られて、仙は押し黙った。
「今な、お前は“わたくし”と言っただろうがな、たまに“私”と言う時がある。」
 そしてだな、と皇子が続ける。
「お前の私に対する態度。私は構わないが、どうにも砕けすぎではないか。普段はそれでも良いが、吉期の前ではやめておけ。」
 そんなに、砕けた調子で話していたのか。そう言われると、そのような気もする。
「あとは、間の抜けた返事もやめろ。」
「分かりました。」
「吉期は民を虐めて、税を絞りとって贅沢三昧の暮らしを送っている汚い奴だが、私の今後の役にはたつ。くれぐれも、吉期の行動については口出しするな。と言うか、お前は喋るな。」
「……」
「返事をしろ。」
 言われて、仙は返事をする。
「はい。」
 牛車がとまって、扉が開けられた。
 琴塁の吉期尊師の邸宅についたようだ。

10 真理  [id : WjWTxiz0] [2016-11-23(水) 12:07:29] 削除依頼

 宮廷にくらべれば、僅かにここの方が劣っていたが、それでも尊師邸宅はかなりの豪華さだった。
 入り口の門は凝った彫刻が施されており、さらに目の前の庭には美しい水が流れる川があり、池があった。見たこともないような花が咲き誇るその庭の先には、立派な建物があった。
 

11 真理  [id : WjWTxiz0] [2016-11-23(水) 19:08:24] 削除依頼

 仙と不氷人皇子は、揺れる炎の燈籠が並ぶ小道を歩いて行った。
 池の水面に映る炎が、とても綺麗だった。
 今が夜とも思えないくらいに、明るい庭である。
「へえ……幻想的ですねぇ。」
「何のこれしき。姉上のところで散々見てきただろう?」
「いえ、わたくしあまり外に出なかったものですから。それに、不氷人さまはこういうことをなさらない故。」
 嫌味か? と不氷人皇子は言う。
「私はそれ以外のことで金を使いすぎたからな。父上から、庭まで金のかかることはするなと言われている。」
 本当はもっと、派手にしたいのだが、と皇子が言う。
「それはそれは。わたくしも派手な庭が見たいです。」
「そうだなあ、一度、父上に掛け合ってみるか。」
「どうせだったら、誰も見たことがないくらいに綺麗なものにしてくださいよ。」
 楽しげに声を弾ませて、仙が言う。
「誰も見たことがないくらい綺麗な、か……」
 呟いてみて、皇子は小さく笑う。
「わたくし何かおかしなことを言いましたか?」
 不思議に思って、仙が皇子を見上げる。
「いや、何も。」
 仙を見て答えた皇子の顔は、今まで見たこともない、優しい顔をしていた。
「ほら、さっさと行くぞ。」
 立ち止まった仙にそう言うと、意気揚々と皇子は歩き出した。

12 真理  [id : WjWTxiz0] [2016-11-23(水) 20:19:30] 削除依頼

「お待ちしておりました、不氷人殿下。」
 屋敷の中に入ると、細面の色白の男とたくさんの家臣と思しき人々が出迎えた。
「吉期殿、久方ぶりだな。」
 吉期尊師は、目を細めて頷いた。
「お久しぶりです。さあ、どうぞお上がりください。」
「ああ。」
 狡猾そうな男だ、と仙は思った。白い顔に細い目が鋭く光っており、どうにも油断できそうになかった。
「そういえば。」
「なんだ?」
 歩きながら、吉期が言う。
「後ろについておられる方は……?」
 ちらりと仙を見て、吉期が問い掛ける。
「ああ、この者は私の近習だ。最近、近習になったもので、女だ。」
 最後に皇子は要らぬ情報を付け加えた。仙は元いた世界でも、男のようだといわれる顔立ちをしており、今のような直垂姿では少年のようにも見えたのだから、男ということでよかったのに。
 仙は、その言葉に吉期が目を鋭く光らせたのを見逃さなかった。
「ほお、女近習ですか。」
 吉期が、仙を見る。
「はあ、左様で。」
 上目遣いに吉期を見ると、もうすでに?女近習″に興味をなくしたようで、皇子相手に世間話に花を咲かせていた。
 その合間に、皇子が仙を肘で小突いて小声で言う。
「間の抜けた返事はよせと言っただろう。」
「わたくしはきちんと返事をしましたが。」
「?をつくな。左様で、の前に間の抜けた返事をしたぞ。」
 ああ、言われてみれば。そう思い、仙は素直に謝った。
「もういい。それよりお前、吉期に何か聞かれても余計なことは言うなよ。」
「分かってます。」
 ふと、吉期が振り返る。
「どうかされましたか?」
 慌てて、皇子が取り繕ったように言う。
「いや、何も。近習に失礼のないようにと言いつけておいただけだ。」
「そうですか。」
 なら、良かった、と笑って言った吉期の目は笑っていなくて、油断ならないと仙は思ったのだった。

13 真理  [id : WjWTxiz0] [2016-11-23(水) 20:36:54] 削除依頼

すみません、文字化けしました。
?→嘘です。

14 真理  [id : zD0ZI3P0] [2016-11-24(木) 19:04:20] 削除依頼

宴が始まると、目の前には見たこともないようなごちそうが並べられ、仙の腹が鳴った。
「おい。」
「はい……?」
 皇子が声を荒げて、気を付けろ、と言ったが、仙はもう何も聞いていなかった。
「不氷人さま、これ、わたくしも食べてもいいのでしょうか……」
 呆れた奴だ、と皇子がぼやぐ。
「私の近習なのだから、食べたって問題なかろう。」
 ぶつぶつと、文句を言いながら仙を仰ぎ見た皇子は、一番近くにあった魚の生け作りに手を伸ばす。
「ほら、お前も食え。」
 取り分けた食べ物を仙に差し出す。
「ありがとうございます。」
 何もかも、美味しそうだった。
 美味しそうなのに加えて、仙は一日中働いていたため、とても腹が減っていた。そのため、差し出された皿を半ばひったくるように受け取ると、勢いよく食べだした。
「あまりがっつくなよ、意地汚い……」
「はあ、まあ、誰のせいかって言われたら不氷人さまのせいですけど。」
「おい。」
 仙の頭を、皇子がひっぱたく。
「なんと乱暴な。」
 呟いた仙を、皇子はキッと睨んで、視線を上げた。
 その視線の先に居たのは、なんとも美しい女であった。
 年は、仙の少し上といったばかりか、皇子と同い年くらいの、黒髪の女だった。
「不氷人皇太子殿下、今日はよくぞいらっしゃいました。」
 目を細めて、皇子は女を見る。
 仙は横目で二人の様子をうかがった。一体、あの女は誰なのだろうか。
「久方ぶりだな、吉野殿。」
 女の名前は、吉野と言うらしい。

15 真理  [id : zD0ZI3P0] [2016-11-24(木) 21:23:23] 削除依頼

 吉野は、吉期の娘だった。
 吉野は、やれ酒を注ぐだの、やれ小咄を聞かせるだの、巷じゃあんなことやそんなことがあるだの、うっとおしいくらいに皇子の元にやって来た。
「まあ、皇子さまったら。」
 ほほほ、と嬉しそうに袖で口を覆って笑う吉野が、仙はなんだか気に入らなかった。
「あら?その方は?」
 不意に、吉野が仙の方を見た。
「ああ、こいつは私の近習……」
「女近習です。お見知りおきを。」
 吉野がすっと目を細める。美しい顔に、赤い唇の端が上がった、嫌な笑みが浮かんだ。
「そうですの。あたくし、勘違いしてしまいましたわ。新しい恋人の方かと思いましたの。でも、心配要らないわね。」
 よくよく考えれば、皇子さまはこんな方相手になさらないわ、と吉野は高笑いして言った。
 その吉野の発言に苛ついた仙が、声を荒げて言い返す。
「ええ、そうですよ。不氷人さまは、私など相手にしない。それが何か、あなたにとって問題になりますか?」
 まあ、と言いながら、吉野は余裕たっぷりの笑みで仙を見る。
「随分、強気な方ですわね。」
「……別に、なんでもよかろう。」
 なんだか気を悪くしたらしい皇子がぶっきらぼうに答えて、そっぽを向いているうちに、吉野が仙に囁いた。
「あなた、身の程をわきまえるべきですわ。あたくしに口答えするなど、何様のつもりなのです。美しくもなんともないあなたは、皇子さまに気安く話し掛けないでくださいます?」
 吉野は不機嫌そうに顔をしかめる。
 少しつった、細めの涼しげな目元やすっと通った鼻筋、紅い艶やかな唇が、仙には到底及ばないほどに美しい。それが、なんともいたたまれなくなって、しかもそのことを直接言われると、もう、その場にいるのも嫌になってしまった。
 そして、隣でまだ、ぶつぶつと仙を罵っていた吉野に対しての怒りに、仙の中の何かが切れた音がした。
「私は、私だろ。あんたに指図なぞされない。いちいち口出しするな。」
 仙は、宴の会場に響きわたるような声で、吉野に怒鳴った。
 きょとん、と仙を見上げた吉野は、次の瞬間、けらけらと笑い出した。
「まあまあ、いきなりなんですの?教養も何もありませんわね、怒鳴るなど、なんて野蛮な。ねぇ、皇子さま。」
 仙が、恐る恐る横を見れば、驚いたようにこちらを見る皇子の姿が目に入った。
「……」
 仙は、立ち上がると、沢山の人の間を縫うように駆けて、外に飛び出した。
 皇子に会いたくなかった。もう、二度と会いたくなかった。
 自分が嫌だった。
 それでも、涙は出なかった。
 こちらの世界に来たとき、沢山泣いた。
 それと同じくらい悲しいのに、仙は泣けなかった。
 美しい庭の隅に座り込むと、池の水面に自分の顔が映った。
 三白眼の目と、どう見ても整っているとは言えない目鼻立ちの顔が、嫌でも目に入った。
 それでも、泣かなかった。
 ただ、一日目からついていないと思った。

16 真理  [id : mp9RHLx1] [2016-11-25(金) 20:48:53] 削除依頼

 座り込んでぼんやりと月を眺めていた。
 月は、白い光を放っていて、橙色の燈籠の炎といい具合に交わった。
「あーあーあーーーーー」
 吉野は、本当にいけすかない。言ってやったと言う爽快感はあったが、不氷人皇子の機嫌を損ねたから、もうここには居られないかもしれない。
 そうなると、非常に不味い。
 仙は、大きな溜め息を吐いた。
「なんで、こんなところに来たんだろう。」
 直垂の袖が、やたらと白んで見えたのが癪だった。

17 真理  [id : kGw5g4s1] [2016-11-26(土) 10:25:31] 削除依頼

 本当にいたたまれない気持ちで月を見ている仙に、誰かが近付いて来た。
 燈籠の光が遮られて、影が差す。
「仙。」
 その声は、仙が今日一日で誰よりもよく聞いた声だった。
 恐る恐る、仙は頭上の人物を見上げる。
 日に焼けたことなんて無いような、真っ白い顔が橙色の炎に照らされている。
 すっと筆で線を引いたように、なんの迷いもなくそこにある、切れ長の涼しげ目。筋の通った鼻は、顔の真ん中に行儀良く収まっている。薄い唇は、何かを面白がるように、両端を持ち上げて笑っている。
「……わたくしに何か御用ですか。」
 謝ろうと思ったのに、口から飛び出したのは、そんな言葉だった。
 これでは駄目だ、と思ったのに、仙口を開けなかった。
「……帰ろうか。」
 不意にかけられたその言葉に、仙は目を丸くして皇子を見上げる。
「はあ……帰るのですか。」
 すっとんきょうな声で、仙が聞き返すと、今度は皇子が驚いたような顔になる。
「それ以外、どうするのだ。」
「いやだって、私、失礼なことを言いましたよ?それでも不氷人さまは、私を側に置いてくれるのですか?」
 仙がそう訊くと、皇子は不思議そうな顔をした。
「失礼なこととは、吉野殿のことか?」
「まあ、そうですけど……。」
 それなら心配ない、と皇子は朗らかに笑う。
「吉期との関係は良くしたいが、吉野殿との関係などは別に何でも良いのだ。」
 吉野殿は、昔からあまり好きではなかった、と何の気なしに皇子は言う。
「それに、あんなことを言われては、お前が怒るのも無理はない。」
 あっけんからんと語る皇子を、仙はどうにも脱力してただ、それを眺めていた。
「さあ、帰るか。」
 皇子が言う。
「……はい。」
 仙は、錐乃国第一皇子、不氷人の近習だ。これからも、ずっと。

18 真理  [id : kGw5g4s1] [2016-11-26(土) 16:21:57] 削除依頼




1

19 真理  [id : kGw5g4s1] [2016-11-26(土) 16:45:08] 削除依頼

 空が白んできた頃、仙は目を覚ました。
 体の芯から冷えきるような透明な空気の中、仙は裸足で庭に降りると、井戸の方へ向かった。
 井戸はこの中庭の真ん中にある。その隣には小さな木が植わっていて、今は芽吹いたばかりの若草色の葉をつけている。
 仙は、その井戸の前にたつと、他の皇子の使用人達を起こさないように、そっと井戸の底に桶を落とした。
 かつん、と小さな音がしたが、誰も聞いてはいない。
 今、この時間から起き出しているのは、仙だけなのだから。
 仙は、皇子の近習となってから、この屋敷で寝起きしていた。
 屋敷には、仙と同年代の女房から、皇子の庭師、警護に当たる兵までもが暮らしていた。もちろん、女性棟があって、女房や仙はそこにいるのだが。
 ぼんやりしながら、仙は水をためた桶を引き上げる。
 井戸の水はきんと冷たく、まだぼやけていた仙の頭をしゃんとさせた。
 まるで、タイムスリップしたようだ、と仙は思う。いや、実際、異世界に移動したと思い込んでいるだけで、実はただ、昔の中国にタイムスリップしていただけかもしれない。
 何にしろ、考えても仕方ない。
 ここは、錐乃国。
 仙は、皇子の近習。
 それが事実で、嘘偽りない、真の仙の姿なのだ。
 残った水でもう一度顔を叩くと、屋敷に歩いていった。
 近習の朝は早い。

20 真理  [id : kGw5g4s1] [2016-11-26(土) 18:30:45] 削除依頼

* * *
 摩訶不思議、と言うのはこれのことだろう。
「何ですか、これ……」
 口をあんぐり開けて、仙は船頭のよく日に焼けた男を見上げる。
「いや……何って言われても、船だが。」
 仙は、王都の東にある湖を渡ろうとしている。対岸にある町に、使いを頼まれたからだ。
 その、仙が乗ろうとしている船と言うのが、少々変わったものなのだーー
「船は、いいのです。その、下にいる奴が問題なのですよ!」
 桟橋に寄せてある船の下に、それは、いた。
「水竜だが、それがなんだ?」
 澄んだ湖の水の下に、大きな竜のようなものがいた。
 深い青の鱗に覆われて固そうな体表に、こちらの様子をじっと窺うような、残忍そうに光る黄色い目。鋭い鍵爪がついた手は短く、後ろ足はなかった。船の影に隠れてよく見えないが、尾の方は魚のような鰭がついており、腹の方にも薄く透けた鰭があった。
 それは、頑丈そうな縄で、船に繋がれていた。そこから察するに、それが船を引くのだ。
「おい、乗るのか? 乗らねぇならもうでちまうよ。」
 それーー水竜を見て、ごくりと生唾を飲みこむと、仙は覚悟を決めて、答えた。
「乗ります。」
 その答えに、さして興味も無さそうに、船頭は手を差し出した。
「流賀の町まで、十五斤だ。」
 それを聞いて、仙は銅貨を十五枚、男に渡す。
「さっさと乗んな。今日は中都島にも寄るからな。」
 半ば押しやられるように船に乗らされ、仙は中に入った。
 中都島というのが何なのか、それはよく分からなかったが、対岸が見えないこの湖のことである。きっと、途中に何かあるのだろう。
 不意に船が揺れた。
 船が動き出したようだ。

21 真理  [id : kGw5g4s1] [2016-11-26(土) 20:55:44] 削除依頼

 船内は、少しカビ臭い匂いがした。窓は無く、湿度が高そうだ。外から見た通り、と言う感じで、乗っていて壊れないかと少しひやひやする。
 そんなに広くはないので、電車のように壁に沿った横向きの座席が一対あるだけだった。
 とりあえず仙は適当な場所に座った。ごつごつとした木の感覚が伝わる
 座席には、数人が座っていた。
 仙の向かいの席に質素な身なりの男がひとり。その隣には派手な格好をした二人組の女がいる。
 仙の隣には、仙と同い年くらいの少年がいた。
 お世辞にも美少年とは言えないその少年は、真っ直ぐな焦げ茶の髪を頭の高い位置で結っていて、少しつった目と一文字に結んだ唇が相まって、真面目そうな少年だと仙は思った。熱心に何かの本を読んでいて、本の内容にそってか、僅かに口が動いている。
 それで、仙はと言うと、特にすることはないのでただ座っていた。
 その時、急に少年は立ち上がると、船の前の方の扉を開けて外に出ていった。
「外には何があるのか……」
 仙は呟くと、少年の後を追った。

22 真理  [id : QYKGM330] [2016-11-27(日) 09:20:37] 削除依頼

 外に出ると、短い階段があった。
 木製のその階段はところどころが腐っていて、登るのを少し躊躇わせる容貌をしていたが、仙はゆっくりと登った。
 仙が片足を乗せた途端に、木が軋む音がした。よく見れば、あちこちに苔まで生えている。
 それでも何とか登り終えると、そこは甲板だった。
 甲板からは、昼前の白い光に照らされてきらきらと輝く水面と、どこまでも続く青い空が見えた。青い水の下にはやはり水竜がいて、それの鱗も光を反射して、まるで瑠璃のような光を放っていた。
 さて、その甲板の一番前に、少年はいた。甲板の手すりにもたれかかって、具合が悪そうな顔をしている。
 (船酔いか……)
 仙はそう思った。まあ、あんなに揺れるところで本を読んでいたら、普通は酔ってしまうだろう。
 ちょうど良いことに、仙は船酔いの薬を持っていた。皇子に貰ったのだ。少年の具合は、見たところ、かなり悪そうなので、分けてやるのも良いだろう。
 仙は、不安定に揺れる船を、転ばないように慎重に歩きながら、少年に近付いていった。

23 真理  [id : QYKGM330] [2016-11-27(日) 15:52:12] 削除依頼

「あのぅ……大丈夫ですか。」
 少年は未だに青い顔をしている。
 その顔で、仙の方を振り返ると、少年は弱々しく首を横に振った。
「大丈夫だったら、こんな顔してませんよ。」
 どことなく寂しそうに笑って、少年は言う。
「じゃあ、これ、使ってください。」
 仙は薬の入った巾着袋を渡す。
 少年は驚いた顔をして仙を見た。
「船酔いに効くという薬らしいです、不氷人さまが言っていましたから、本当かどうかはよくわかりませんがね。」
「いいんですか、僕が貰って。」
 遠慮がちに、少年が仙を見た。
「いいですよ。」
 仙が、朗らかに笑って答えた。

24 真理  [id : .oGYCsB1] [2016-11-28(月) 20:20:23] 削除依頼

* * *
 少年は、左衣と名乗った。
 薬を飲んで落ち着いた少年ーー左衣は今、仙の隣で話をしている。
「それで、僕は背が小さくて目立たないからって、檜井さまに流賀の遊郭へのお使いを頼まれたのです。」
 仙は、異世界から来たことを抜きにして、皇子付きの近習であるということを話した。
 左衣は、檜井と言う人の近習らしく、主君のお気に入りの遊女への文を届けに行く最中だと言った。何分いかがわしい所のため、目立たない者が行った方が良いらしく、歳の割に小柄な左衣が使いを頼まれたのだ。
「僕の健全な精神が蝕まれますよ、あそこは。」
 顔をしかめて、左衣は言う。
「なんてったって、檜井さま宛のお手紙でさえ、生々しいのですから。」
「生々しいって……」
 そのあとのことは、聞かないことにした。
 左衣は露骨に嫌な顔をして、それらのことを語った。
「仙さんは、どこに行くのですか?」
「私は、緋流区に行けと言われていますが……どこだかは、聞けば分かるって、不氷人さまは仰るのですよ。」
 全く、ちゃんと話して欲しいですよ、と仙がぼやぐ。
 そんな仙を、左衣は凝視していた。
「どうかしました?」
「……緋流区は、遊郭地下街のことですよ。」
 今度は、仙が左衣を凝視する番だった。
「緋流区、宵明星の李乃華殿……」
 懐に入れていた手紙を取り出して、仙はぎょっとした。
「これって、不氷人さまご贔屓の遊女への手紙ですか!」
 ここが甲板で、湖の真ん中だったのが幸いだった。
 仙は、あたりに響きわたる声で、言っていた。
「仙さん、少し静かにしてくださいよぉ……」
 左衣が言う。
「その店、僕の行き先と一緒ですよ。良かったら、一緒に行きませんか。」
 ここにあまり慣れていなさそうですし、と左衣は笑って言う。
「ああ、そうして貰えるとありがたいです。」
 仙が言うと、左衣がにっこりと笑う。その髪が日を浴びて、薄茶色に光る。
「じゃあ、よろしくお願いします。」
 改めて、と笑う左衣の姿が、仙にはなんだかとても心強く思えた。

25 真理  [id : .oGYCsB1] [2016-11-28(月) 20:38:09] 削除依頼

[登場人物]
仙 (セン)ー臼井 南月 (ウスイ ナツキ)
不氷人 (フヒト)
吉期 (キツキ)
吉野 (ヨシノ)
左衣 (サイ)
李乃華 (リノハナ)

[地名]
錐乃国 (キリノクニ)
中都島 (ナカツシマ)
流賀 (リュウガ)
緋流区 (ヒリュウク)
宵明星<店> (ヨイミョウジョウ)

26 真理  [id : .oGYCsB1] [2016-11-28(月) 22:50:11] 削除依頼

 仙と左衣は、よく話した。年が近いせいもあって、気が合っている。
「左衣殿は、年頃はいくつなので?」
 仙が訊く。
「僕は、十五です。仙さんは?」
「私は十四です。」
 それを聞くと、左衣は驚いた顔になった。
「へえ、てっきり、僕より年上だと思っていました。」
「何故です?」
「いや、だって妙に達観していると言うか……」
 まあ、それはそうだと思う。こんな世界に来て、しかもそれがよく言われるタイムスリップではなく、本当に異世界だと言うことまで発覚して、達観出来ないわけがない。むしろ、達観していなければやっていけない所存である。
「そりゃあ、色々ありましたから、不氷人さまに拾っていただくまでは。」
 言いながら、仙は自分が随分と敬語の使い方がうまくなったと思った。特に、丁寧語などはさておき、謙譲語と尊敬語を以上なまでに使うから、きっと、もし戻ることが出来たなら、テストで満点をとれるだろう。
「色々、ですかぁ。」
 のんびりと、左衣が呟く。
 甲板に吹く風が、頬を撫でていく。
「いい眺めですねぇ。」
 仙は言う。
 いい、眺めであった。
 青い湖の下で、ときおり、水竜の鱗が煌めいた。空の青色が水面に映り、鱗が煌めく度、湖面は青い宝石のようでもあったし、美しい星空のようでもあった。
 湖の沿岸には幾つもの街があり、それもそれでとても風情があったし、何より遠くに聳え連なる山々が素晴らしかった。どこまでも高く聳える山は、てっぺんに白い雪を被って、空色によく映えた。それから、その下の森林の若草色と、そしてこの湖とが相まって、大層美しいものとなっているのだ。
「僕も、水竜の船には初めて乗ったんですよ。」
 へへっと左衣が笑う。
 仙が口を開く。
「水竜って、少し怖くないですか?」
「ああ、少し。目が怖いです。」
「そもそも、大きさが怖くないですか。」
「大きさは、まあまあ。」
 それからしばらく、二人はなんとなくの不毛な会話を楽しんだ。
 仙が、不氷人皇子の人使いの荒さを話すと、
「いやぁ、そんなの、檜井さまに比べたらちょろいもんですよ。」
と顔をしかめる。
「檜井さまのお付きで遊郭に行ったら、僕は精神的にやられてしまいました。」
 そのあと、二人で馬鹿な話をしてひとしきり笑った。
 二人で緋流区に向かうことを、なんとなく楽しみに思った。

27 真理  [id : a15ze5R0] [2016-11-29(火) 20:30:42] 削除依頼

* * *
 中都島、そこは異様な雰囲気を持った島だった。
「うわあ……」
 仙が船の甲板から身を乗り出して、中都島を見る。
 その時、左衣が秘かに恐れていたことが起こった。
「わっ」
「え。」
 仙が、身を乗り出しすぎて、甲板から落ちそうになる。
 それを、慌てて左衣が引き止める。
 腰の帯が引っ張られて、仙は少し苦しげな声を上げた。
「痛いじゃないですか!」
 引き上げられた仙が、怒ったように左衣を睨む。
「そんなの、知りませんね。僕がいなかったら、今頃あんた、水竜の餌ですよ。」
 左衣も仙を睨み返す。
「私は助けてくれなんて言っていないでしょう。」
「僕は、善意の塊ですから。」
「何を言うか。」
 くだらない口論で、二人はそっぽを向く――だがすぐに二人そろって笑い出した。どうやら二人とも、喋らずにはいられない性分らしい。
「でも、中都島ってどんなところでしょう?」
「さあ、僕の知り及ぶところではありませんねぇ。」
 すぐ近くに見える中都島は、四半刻もあれば海岸線を一回りできそうなほどの小さな島だ。しかし、ここから見える中都島の人々の様子が、なんだか気になった。
「あの人たち、髪が金ではないか……?」
 馬鹿みたいに大笑いしていた左衣が急に真顔になって、呟いた。
「本当ですね、金髪……」
 仙は元の世界で金髪の人間など散々見てきたが、ここでの生活になれると、それは異常だった。
 何しろ、この錐乃国の住人は皆、黒髪かまたは左衣のような焦げ茶の髪をしている。その中で、西域のものの様な金髪は異様だった。
 そして中都島の異常なことと言ったら、建物の様子だ。仙が今まで見てきた東洋風のものではなく、全ての建物――民家や店、砦のようなものや城のようなものまで――が、西洋風だった。それがこの錐乃国でどんなに異常なことか、この数か月で仙には痛いほどに分かった。
「東域の人々の島か……」
 隣で呟いた左衣の言葉に、仙は驚いた。
 金髪のあの人々のことを、左衣は「東域」の人々と言った。
「東域……?」
 仙が尋ねると、左衣は不思議そうな顔になった。
「東域って、知らないのですか?僕らの錐乃国は、大陸の西の方にあるでしょう?」
 それで、東の地は異民族の住む地域で、だから東域と言うのですよ、と左衣は語った。
 ここで、タイムスリップ説はまたもや真っ向から否定された。水竜の出現で分かっていたのだが、西洋と東洋の概念が今、覆されたと言うことに、仙は酷くショック受けた。
「聞くところによれば、東域の国々以外にも他の国はあるようです。平垂海にはたくさんの島々が浮かんでいて、いくつもの国があるって、劉秦陣の紀行文で読みました。」
 そりゃあ、そうだろうね、と内心ツッコミを入れつつ、仙は苦笑した。そんなこと、現代日本人は知っている。
「東域、ねえ……」
 中都島から、賑やかな歓声と楽器の音が、風に乗って仙のところにも届いた。

28 真理  [id : a15ze5R0] [2016-11-29(火) 22:07:55] 削除依頼

 甲板で喚いていた二人の元に、船頭がやって来た。その目には、馬鹿ではないのか、と言う侮蔑の色が浮かんでいる。
「少し交渉が長引きそうなんだ。一刻はここで待つことになるだろうが、その間に中都島を見ているか?」
 仙と左衣は顔を見合わせる。二人とも中都島に興味を持っていた。見学するのも、悪くない。
「はい、見たいです。」
 なんだかにやついて、左衣が言った。
 何をにやついてやがる、と船頭が悪態を吐いた。
「ほら、ついてこい。」
 さっさと動かねぇと置いていくぞ、と脅されて、もたもたとしていた仙と左衣は、急にはきはきと動き出した。

29 真理  [id : a15ze5R0] [2016-11-29(火) 22:34:13] 削除依頼

 渡されたかいを手にして、左衣は途方にくれていた。
「こんなの、どうしたらいいんですかぁ」
 情けない声で、船の上の船頭に問い掛ける。
 案の定、返ってきたのは全くと言って良いほど役に立たない返事だった。
「そんなもん、漕ぎゃいいんだよ。お前できないならもう一人の小僧にやらせりゃ良いだろ。」
「仙さんだって、こんなのできませんよ。しかも、仙さんは女ですよ。ここは僕がーー」
 仙は左衣の台詞を聞いて、ああまた馬鹿なことを言ってくれたな、と内心で毒付いた。わざわざ、その様なことを言わなくてもいいではないか。
「な、なんだってぇ!?」
 船上で、船頭がすっとんきょうな声を上げた。
「それじゃあ、その小僧……じゃなくて、その嬢ちゃんは、皇太子殿下の女近習か!」
 何故、そこまで分かるのか!
 仙は目を剥いた。自分が女だと発覚しただけで、皇子の女近習だと、何故分かるのだろう。
「待ってろ、今行ってやる。」
 そう言って二人の乗る船に飛び乗ってきた船頭に聞いてみれば、どうやら仙はこの数日間で、男装をした少女、として有名になっていたようだった。そして、その少女の正体を知る者が噂を呼び、男装の少女=皇子の女近習と言う公式が出来上がったようだ。
「いやぁ、そういやぁあんた、吉期尊師のとこの吉野嬢に怒鳴り散らしたらしいなぁ」
 何の気なしに船頭が言った言葉に、左衣がぎょっとして仙を見る。
「仙さん、そのようなことをしでかしたのですか……」
 呆れたようで、哀れみを含んだ声色を隠さずに、左衣は言う。
「それでよく、左遷されませんでしたねぇ」
「……不氷人さまは、吉野殿には興味がないらしいですから。」
 仙が不機嫌そうな顔でそう言えば、
「へえ、でもそれ、仙さんが怒鳴り散らしたことの何の言い訳にもなってませんよ。」
と言い返された。
 隣で小舟を漕ぎながら、船頭が豪快に笑った。

30 真理  [id : ASBQMFm7] [2016-12-01(木) 17:36:40] 削除依頼





















2

























31 真理  [id : ASBQMFm7] [2016-12-01(木) 17:38:54] 削除依頼

すみません、何か間あきすぎました。

32 真理  [id : ASBQMFm7] [2016-12-01(木) 17:56:43] 削除依頼

気を取り直して。



 左衣には、隣にいる少女が皇太子付きの近習とは思えなかった。
 色白の顔で、三白眼だが大きな目に、うっすらと紅を差したであろう赤い唇が不思議な雰囲気だった。それは近習という、主に縛られて生きる者には見えなかった。
 改めて、仙を見てみる。
 船を漕ぐ船頭と楽しげに話している仙は、やっぱり不思議だと思った。
 自ら望んで、彼女は近習であるのだろうか。分からない。少なくとも、左衣の故郷にいた少女たちは、嫁に行きたがっても、近習になりたいとは思わないはずだ。
 わからない。
 じっとその横顔を見つめていると、仙が不思議そうに、左衣を見た。

33 真理  [id : a1JmAB9Q] [2016-12-09(金) 17:18:23] 削除依頼

「何でしょうか。」
 慌てて、左衣は首を振る。
「いや、何でもないんですが。」
「ないんですが?」
「ないんです。」
「そうか。」
 答えると、仙は興味を無くしたように中都島に目を向けた。
 中都島は間近に迫る。
「うわ。」
 仙が目を剥く。
「これが、中都島……」
「東域文化……」
 左衣は気付くと身を乗り出して、その島を見ていた。
「落ちますよ、左衣殿。」
 笑いを含んだ柔らかい声で、仙が言う。
「私の二の舞になってしまう。」
「ああ、はい、まあ……」
 正規の位置に座り直して仙を見やると、なんだか左衣は落ち着かない気分になった。
「あ。」
 思い出したように、仙は言う。
「不氷人さまから駄賃を貰ったんだった。」
 これで何か、と嬉しそうに言う仙は、知らず知らずのうちに船の際まで身を乗り出していて、次の瞬間、止める間もなく落ちた。滑らかで何の淀みもない美しい水面に、不格好な波紋を作って。
「これぞ、二の舞。」
 誰にも聞こえないような声で、左衣は呟いた。

34 真理  [id : iqYTCD3F] [2016-12-10(土) 15:40:51] 削除依頼

 仙は大きなくしゃみをした。
「寒い。」
 春たけなわと言えども、やはり水に濡れれば寒かろう。
「これぞ、二の舞ですねぇ……」
 仙が呟く。
 同じことを思うもんだな、と左衣は感心した。
「ほら、着いたぞ。」
 仙が水を滴らせて喚いている間に、小舟は中都島に着いた。
「帰りはまた、ここに来てやるよ。」
 面倒臭ぇな、と文句を言いつつも、船頭は迎えに来てくれるそうだ。
「嬢ちゃんは、まあ……この天気だ、すぐ乾くさ。」
 果たして、仙は全身ずぶ濡れのまま、左衣は期待を胸に、中都島に上陸した。

35 真理  [id : iqYTCD3F] [2016-12-10(土) 22:19:17] 削除依頼

 人々は、ずぶ濡れの仙を見ながら通り過ぎて行った。
 同様に、左衣と仙は東域の人々を見ながら歩いた。
「ああ、寒い。」
 市の立った大通りを歩きながら、仙が言う。
「駄賃があるって言ってたじゃないか。」
 それで新しいものを買えば、と左衣が助言した。
「もっと、別な物に使いたかったんだけどなぁ……」
「そんなこと、言ってる場合じゃないですよ。風邪ひきますよ。」
「むう……」
 不満そうに唇を尖らして、仙は渋々着物を売っている店に向かった。
 そこに並ぶ服を見て、二人は歓声を上げた。

36 真理  [id : 6fMGP104] [2016-12-20(火) 18:51:02] 削除依頼

 豪華で煌めく服の数々が、そこにはあった。結局仙は、30斤ほどの質素な服を買ったが、いずれも錐乃国では見られないようなものだった。
「うん、似合いますよ。」
 品定めするように、左衣は目を細めて仙を見た。
「良かった。」
 仙は笑う。
「じゃあ、行きましょうか。」
 約束の刻限まで、まだたっぷりと時間はある。賑やかな町並みを眺めながら、ふたりは歩き出した。

37 真理  [id : wXK0oOWa] [2016-12-22(木) 18:35:46] 削除依頼

 それからは、二人は街に繰り出して、ふらりふらりと興味を持った店に入っては、自分の駄賃の範囲のものを買い漁っていった。
「あ!」
 嬉しそうに仙は書を売っている店に入った。
「久二洲の東西妖魔録だ!」
 手に取った分厚い本を楽しげに捲っていく。
「これ、いくらですか?」
 仙が店の主人に訊いている。
「五十四斤だな。」
「じゃあ、これください。」
 左衣は不意にめまいを感じた。仙は、一体いくら持っているというのだ。十五斤足す三十斤足す五十四斤。合わせて、九十九斤。きっとまだ持っている。皇子付きの近習の駄賃というのは大したもんだと、左衣は痛感した。
「東西妖魔録、ずっと読みたかったんだ。」
 買ったばかりの書を手に抱えて、仙は楽しそうに言った。
 金持ちの近習は違うなあ、と思ったが、仙に対しての妬みが湧き上がってくるようなことはなかった。仙は、人の心にまで何かを変えさせる力を持っているのか、なんて思って、左衣は一人で苦笑した。

38 tomato  [id : 9F52wWtZ] [2016-12-24(土) 19:47:14] 削除依頼

tomatoです。
昔風の人名や地名が出てきて、会話も面白く情景描写、語り文が凄く良いです。
個性豊かなキャラたちが楽しいです
頑張って下さい

39 真理  [id : wXK0oOWa] [2016-12-24(土) 20:57:22] 削除依頼

≫38
ありがとうございます。
tomatoさんのお言葉を励みに、書いていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。

40 真理  [id : Wyqdbuti] [2016-12-24(土) 21:40:25] 削除依頼

* * *
 久二洲の東西妖魔録は、仙がずっと欲しかった書だった。以前、都に皇子とお忍びで出掛けた時、書物問屋で見かけた書だった。この世界は、仙の元の世界と言葉も文字もほとんど同じだったので、仙は沢山の書を読むことができた。しかし、文字は崩されていて、中々に難解な字体だったので、完全に読めるようになるまではかなりの時間がかかった。
「書が……好きなんですか?」
 左衣が仙に問い掛けた。
「ああ、好きですよ。」
「へぇ……僕はなんか苦手ですよ。」
「なんでです?」
「字が多くて。」
 不思議なこともあるもんだ、と思う。左衣が書が好きではない、というのは、とても意外に思えた。

41 真理  [id : xISJCOmH] [2017-01-03(火) 17:15:31] 削除依頼

続きが思い付きませんから、とりあえず上げときます。

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藍の唐衣 - 最新50レスだけ見る。
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